さらざんまい 第十一皿(最終回)感想――また凄い最終回だった
サブタイトルは↓
今回の満足度:5点(5点満点中)
(以下ネタバレ)
第十一皿「つながりたいから、さらざんまい」あらすじ
兄の姿を借りたカワウソの言葉に乗り、「縁の外側」へと向かってしまった悠。
悠は、過去の自分を消し去り、全ての繋がりを断とうとしていた。
ケッピと共に悠を追う、一稀と燕太。
三人の「繋がり」の元となったミサンガが消えぬうちは、まだ間に合うと信じ過去をさかのぼっていくが、カワウソや黒ケッピの妨害が激しく――。
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感想
いつもながら様々な解釈の余地を残しつつも、視聴者がある程度共有できる共通の答えをも提示した、幾原監督らしい最終回だった。
少年院へ入ることになった悠の姿を見るに、カッパやカワウソの巻き起こした超常現象を抜きにしてしまうと、中々に洒落にならない事態が起こっていたのだとも邪推出来るが……それは言わぬが花、か。
確かなのは、たとえ現実がどれほど絶望的でも、たとえ未来に希望が待っていなくても、一稀達は「繋がる」ことを選んだ、という事実だろう。
本作では「欲望」が実に様々なもののメタファーとして語られてきたように見える。
言葉通り、自らの満足のために他者を犠牲にしてでも押し通すのも「欲望」ならば、「誰かのためになりたい」「一人は嫌だ」という「世界との繋がり」を欲するのも、また欲望だった。
そして「罪」を犯した人間が、許されないとは分かっていても人生を捨てない、周囲も捨てさせない、そんな想いもまた「欲望」。
恐らくそこに共通するものは、「生きるのを諦めないこと」なのだろうが……もちろん、意味はそれだけではないのだろう。
つながっても、見失っても。
手放すな、欲望は君の命だ。
本作のキャッチコピーの、なんと絶妙なことか。
「輪るピングドラム」でも「ユリ熊嵐」でも、本人の責任ではなく予め「世界の仕組み」として、何も与えられなかった、もしくは存在を許されなかった子供たちが、それでも運命に抗う姿が描かれてきた。
本作はそれを、比較的ストレートなテイストで描いた作品だったと、個人的には受け取ったのだが……この時点で監督の術中にはまっている可能性もあり。油断できない(苦笑)。
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視聴者の我々に出来ることは、折りに触れて本作を思い出し――繋がり続けて――物語の意味を問い直してみることだけなのかもしれない。
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