どろろ 第三話「寿海の巻」感想 ――決して許されぬと分かっていても、男は償い続ける
今回の満足度:5点(5点満点中)
(以下ネタバレ)
あらすじ
戦で手足を失った人々に作り物の手足を与え、救い続ける医師・寿海。
人々から神か仏のように感謝の念を集める寿海であったが、実は彼には償おうにも償いきれぬ過去の罪があった。
その罪がきっかけとなり、自らを慕ってくれていた弟子を失った寿海。
失意の彼は生きる気力を失い、足を滑らして川べりへと転落してしまう。
だが、そこで寿海は奇妙な赤ん坊と出会うことになる。
体中のいたるところを欠損し、生きていることが不思議なくらいの、弱々しい赤ん坊。
寿海はその赤ん坊を百鬼丸と名付け、作り物の手足や顔を与える。
無事に成長した百鬼丸だったが、ある時から彼は、物の怪の類に付け狙われるようになってしまう。
百鬼丸の命を守るため、寿海は彼に戦うすべを教え始めるのだが――。
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感想
主君の命で多くの罪なき人々を殺めた寿海。
自責の念から自死を選ぼうと、殺めた人より多くの人間の命を救おうと身を粉にしようとも、殺された人々やその家族に許されることはない。
失ったものを、もとに戻すことは出来ない。
「より多くの人の命を救っているのだから許すべきだ」等と言っても、たった一つの大切な物を奪われた人間にそれが通じるわけもない。
死者が蘇るわけでもない。
カナメはそれをよく知っていたから、結局は寿海を殺さないことを選んだ。
その代り、彼に呪いを残した。「あなたに俺は救えない」と。
殺して終わりにするよりも、寿海がずっと苦しみ続けるように――あるいはどこかで満足せずに人々を救い続けるように、と。
百鬼丸と心を通じあわせながらも、彼と共に行く道を選ばず、黙々と人々に作り物の手足を与え続けることを選んだ寿海。
彼の選択はつまり、「いつか許される」等という思い上がりを捨てて、一生を償いに捧げるという覚悟の顕れなのだろう。
第一話で登場した彼は、死者に義肢を与える自身の行為を「試作品を捨てるのがもったいないだけ」と言い表している。
それに対する旅の僧侶の「それでも、仏は喜びましょう」という言葉。
何気ない言葉だったが、今回の話を見た後では、寿海にとってはこれ以上ない慰めの言葉だったのではないか、と思えるようになった。
このように何気ないシーンの何気ない一言が、後々になってある登場人物の内面に響く言葉だったのだと気付く脚本は、間違いなく良い脚本だと思う。
本作は一つ一つの言葉や所作を大事にしているのだな、と感じるエピソードだった。
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