たこわさ

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ブギーポップは笑わない 第一話・第二話「ブギーポップは笑わない1・2」感想

ブギーポップは笑わない (電撃文庫)


今回の満足度:2点(5点満点中)
(以下ネタバレ)

あらすじ

竹田啓司は、同じ高校の後輩であり恋人でもある宮下藤花と待ち合わせていた。
だが、彼女は意外な姿で彼の前に姿を現す。

黒い帽子とマントに身を固め、警官を手品のような投げ飛ばす藤花。
しかも啓司には目もくれずに、そのままどこかへと去っていってしまう。

後日、啓司は学校の屋上で、同じ格好をした藤花と出会う。
彼女は、自分は宮下藤花ではなく「ブギーポップ」だと名乗り、世界の危機を救いに来たと言い出すのだが――。

感想

原作は既読。私は直撃世代であり、ある程度思い入れもあるのだが……それを差し引いても第一話は酷すぎる印象を受けた。

第二話をご覧になった方は既に理解してることと思うが、ブギーポップの言う「世界の危機」は確かに起きている。
だが、啓司は、ひいては原作読者はそれを知らない。あくまでも藤花の第二の人格としてのブギーポップとの交流が描かれるのが、原作における前半部分の醍醐味だった。
思春期特有の不安定な空気の中の、ちょっと不思議な非日常と、そこで生まれた小さな友情の物語。それが第一話で描かれた部分だった。

しかし、アニメではOPや度々挿入される凄惨な殺人現場の光景などから、視聴者ははじめからブギーポップの言葉が絵空事ではないことを知ってしまっている。
もちろん、原作でも口絵やあらすじなどである程度のネタバレはされているのだが、それでも前半部のブギーポップと啓司の交流がとても丁寧に描かれているので、交流劇としての彼らの姿は損なわれてはいなかった。
アニメは、原作における最も大きなギミックである、「絵空事が現実へと転換する」演出を台無しにしてしまっている。

もっと濃密に啓司とブギーポップの交流を描くか、もしくはもっとスピーディな展開にしてBパートから凪やマンティコア視点の物語を始めるべきだったのではないか? と思わずにいられない。
第一話・二話を連続して放送するという判断自体は英断だったが、肝心要の第一話の内容がスカスカなので、その判断も無駄に終わってしまっている。

第二話についても、いちいち「間」をとってしまっている上に、キャラクター同士の会話シーンの視点がワンパターンなので、なんとも退屈な絵面になってしまっている。

また、新規の方には全く気にならないところだろうが……やはりキャラクターデザインはどうにかならなかったのか、と問いたい。
緒方剛志氏の完成されたデザインの、その上澄みだけを転用した「コレジャナイ」感は、原作ファンには今後もつきまとう感覚だろう。本当に残念だ。