たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

「機動戦士ガンダムNT」は正しくガンダムの正統続編だった


しばらく前に観に行っていたものの、何だかんだで感想を書くのをサボっていた本作。
端的な感想としては……「おいおい、なんだよこれ面白いじゃん!」。

(以下、ネタバレ含む感想)


語り継がれてきた「ニュータイプ」という存在に着目した意欲作

本作はヨナ達「奇蹟の子供たち」と呼ばれた三人が、ニュータイプという存在に振り回され数奇な運命を辿る様が描かれている。

脚本担当の福井晴敏氏も各所で述べているが、「ニュータイプ」のそもそもは作劇上の都合で生まれた「なんかよくわからないけど主人公達が強い理由」という、ギミックの一つでしかなかった。
しかしながら、続編を重ねる内に、「ニュータイプ」はただの絵空事ではなくある種の概念として機能し始めた。
SF的解釈をするには多少辛いものがあるものの、「これぞニュータイプ」という確かな共通認識はファンの中に根付いていた。

つまるところ本作は、その概念たる「ニュータイプ」に形を与え、「現時点での答え」を提示した作品だと言える。
人の意志と魂、そして肉体の関係性という観点から改めて「ニュータイプ」を描き一定の答えは出しつつも、「今はまだ追いつけない」という明確なメッセージを入れ込み、可能性を閉ざすこともしなかった。

ここに、福井氏が本作に込めたであろう「人間はまだ変わることが出来るのだ」という切なる願いを感じずにはいられない。

もちろんモビルスーツ戦もおざなりにはしていない

さて、ガンダムの命題が「ニュータイプ」であるとするならば、華と呼べるのはやはりモビルスーツだろう。特に、モビルスーツ同士の息を呑むバトル描写こそをガンダムに求めるファンも少なくないと思う。
本作はそういったファンの要請にも、しっかりと答えている。

主役機たるナラティブは「装備換装」という魅惑的なベースを設定しつつ、「ハイメガ砲」であるとか「インコム」であるとか「NT-D」であるとかの、中二心をくすぐる装備を代わる代わる操ってくれる。
ある意味での「全部のせガンダム」だ。
タダビトたるヨナ達が、真正のニュータイプやリミットの外れた強化人間と渡り合う為に、ありとあらゆる兵器を駆使して戦う……というシチュエーションは、否応にも盛り上がる。

ディジェやジェスタ等の脇役モビルスーツも実に気持ちよく動き(あるいは気持ちよく撃破され)、物語に色を添えてくれている。

敵役であるⅡネオジオングについては……「やりすぎ」と思わなくもないが、あのくらい強大な敵相手でなければ盛り上がりに欠けるのも同義。
ゾルタンにあまり魅力がなかった(というか魅力的にしてはいけなかった)分、メカニックの方にステータスを全振りした、ということでもあるのかもしれない。

私的には無辜の人々の「犠牲」が明確に描かれた点が印象残った

また、本作は一年戦争時の「コロニー落とし」によって、落下地点ではどれだけ凄惨な地獄が展開されたのか? 自然や人々の心にどれだけの傷を残してしまったのか? を真正面から描いている点も印象的だった。

ゾルタンの暴挙により蹂躙されるコロニー市民や兵士達についてもそうだが……一部のガンダム作品が徹底して美化・あるいは避けている「犠牲になる一般市民」や、モブ兵士達の苦しみについても、本作はきちんと描いている。
「物語を盛り上げるためのギミック」ではなく、戦闘が起これば感情も何もかも無視して人間は無残な死を遂げるのだ、という冷たくも現実的な論理を。

「気持ちの良いモビルスーツ戦闘」を描きながらも、同時に戦争や戦闘を過剰に賛美しないという、制作側のポリシーを感じた。
「名前ありキャラ」の死だけを延々と悲劇として描き、名も無き人々の苦しみには見向きもしない作品はガンダムじゃない、と言わんばかりだ(笑)。

物語は希望を持って終わったが……

ということで、本作はある意味で「愛と希望の物語」であったが……この次に来るのが「閃光のハサウェイ」ということで……なんというか、「君は生き延びることが出来るか?」というか。

「一つの物語が美しく終わっても、また新たな物語が始まるのだ」という、いかにもガンダムらしいと言えばらしい展開ではあるが、どうにも身構えてしまう(苦笑)。

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