SNSなどを非公開にしてしまったので、一部の方とはご無沙汰です。
さて、「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」皆さんは観ましたか?
私は劇場先行版を4回くらい、テレビシリーズも繰り返し観るほどはまってます。
最終回も良き良きという感じ。
ただ、世間的には「賛否両論」とされているようでして……。
でもそれって多分制作陣の狙い通りなのだと思います。
(以下ネタバレ含む)
細かすぎても伝わる宇宙世紀?
所謂ファーストガンダムの「一年戦争」におけるifから始まった本作。
けれども作中には「シャロンの薔薇」なる謎の存在が姿を見せ……広がっていくのは、宇宙世紀やら他のアニメやらの「細かすぎるけど伝わる」ネタのオンパレード!
と、ここまで書くと如何にも「ガノタ御用達の同人的アニメ」みたいなレッテルを貼られてしまいそうですが、ところがどっこい。
今回、私は他のアニメファンの人達とSNS上で感想会みたいなものを開きながら本作を楽しんでいたのですが、そこで意外な感想をいくつも目にしました。
曰く「ファーストどころかガンダム全然知らないけど楽しかった」「今まで鉄血くらいしか観たことなかったけど、ファースト観始めました!」。
最初は「あんなメタなアニメを楽しめるなんて訓練されたオタクだな」等と失礼なことを思ってしまったのですが、よくよく話を聞いてみると全然違いました。
彼らが言うには「思わせぶりな台詞や解説されない設定はとりあえず置いといて、ドラマだけでも十分に楽しめた」「エヴァみたいなものだと思って主に展開を楽しんだ」「具体的な説明が無くても台詞からある程度推測できた」だそうで。
目からうろこです。
思えば、初代の「機動戦士ガンダム」にしても、様々な作中用語にはロクな解説がありませんでした。
「ミノフスキー粒子って何よ?」と戸惑った覚え、ないでしょうか? でも、自然とどういうものなのか、アニメを観ているうちに理解していませんでしたか?
GQuuuuuuXもまさにそういう作品だったわけです。
そしてガンダムの魅力は世界設定やモビルスーツのかっこよさだけではなく、そもそも人間ドラマでした。
今回のGQuuuuuuXも、マチュやシャリア=ブルという強烈な狂言回しを中心に物語が進み、様々な人々の思惑が交錯する濃厚なドラマです。
「一年戦争要素なんて飾りです! エライ人にはそれが分からんのですよ!」……というのは流石に言いすぎでしょうが、宇宙世紀知識がなくとも十分に楽しめる脚本になっていたわけですね。
もちろん、宇宙世紀知識があればより楽しめるのですが……実はそれってマニアの楽しみ方なんですよ。
一般人でもアニメを観る昨今。一般人は主にドラマを楽しむのであって、考察とか見立ての検証とか元ネタ探しとか、そこまで一生懸命にやらんのです……。
つまり本作は、濃厚な宇宙世紀及び古のジャパニメーションマニア向けの小ネタを散りばめつつも、新時代の若者達がそれにとらわれず楽しめるよう制作されたアニメだった、ということ。
無難な構成という意味での全年齢向けではなく、年齢層別に違った楽しみ方が出来る、ということですね。
「老人は無視して水星みたいに若者向けに特化して作れよ」という批判もあるようですが、そこはそれ。
50年近い歴史を持つガンダムが定期的に迎える世代間の分断を解消する為には、やはりこういった作品が必要だったと思います。
世代を繋いだ偉大な先達「Gガンダム」
具体的な例を出すと、名作「起動武闘伝Gガンダム」の存在があります。
あれは、リアルガンダムとSDガンダムという二つのファン層が分断されガンダム全体の勢いが失われつつあった時代、両者をひきつけ融和させたい狙いがあった作品だった、と記憶しています。
結果は大成功。今も語り継がれる傑作アニメですよね。
でも、当時は「なんで宇宙世紀じゃないんだ」とか「ロボットプロレスやりたいんならガンダムじゃなくてもいいだろ」みたいな非難が結構ありました。
当時から存在した厄介ガノタというやつです。
もちろん、そういう方々の気持ちも理解出来なくはないですが……結果は皆さんご存じの通り。Gガンダムはガンダムの歴史における中興の祖の一つになりました。
また、例えば「∀ガンダム」の時などにもMSのデザインを刷新しておきながら、宇宙世紀デザインのMSが登場したことを「媚びた」みたいに非難していた人がいたことを覚えています。
実際には、宇宙世紀のMSが∀世界に登場することには深い意味があるのにも拘らず、です。
あれは、GガンやW、Xなどをいつまで経っても悪く言う厄介ファンへの、これ以上ないメッセージでありました。
「必要」だったからこその演出だったわけです。
さて、GQuuuuuuXに話を戻すと、本作が何故、若者向けの物語でありつつも宇宙世紀をベースにしたのか……というその理由ですが、いくつかのインタビュー、資料でのコメントなどを見た限り、それはおそらくGガンダムの時と似たようなものではないかと感じます。
近年のガンダムシリーズは二極化していて、宇宙世紀の二次創作的なものと、水星の魔女や鉄血のような独立した世界観のものに大別されます。
多くのガノタはどっちも好きでしょうが……水星の魔女の時に顕著に感じたのは、「新しいガンダムのファンは宇宙世紀を知っている/興味を持つとは限らない」ということです。
「別に世代間に楽しみ方が違いがあるのはいいんじゃないの?」と思う方もいるでしょうが、ここで先程のGガンダムの話を思い出してください。
リアルガンダムとSDガンダムのファン層の乖離が、シリーズ全体の勢いを失わせる結果となった……*1。
ファン層が分断されるということは、個々の作品だけに固定ファンがいて、シリーズ全体が盛り上がらない状態にも繋がる。特に宇宙世紀は膨大なシリーズ作品があり、初見では(古いアニメが多いこともあり)入りづらい……。
実際、「上司がファーストガンダムを観ろとパワハラしてくる」みたいなネットジョークもありますしねw
コンテンツがあふれている中で、若い方に古い作品を手に取ってもらうことが、どれだけ大変か……。
そこに来て、このGQuuuuuuX。
若者にも響いた上に、一時は動画配信サービスにおけるファーストガンダム関連の動画の再生数が急伸したとか。
事実、私の周りでも「この間初めて最初のガンダム観ました!」みたいな報告をしてくれた方が、わんさか。
「こんな嬉しいことはない」ですよ……。
つまり本作は、「新しい時代のガンダム」であると同時に、「今までのガンダムも忘れてないよ!」という、熱いメッセージだったのだ、と個人的には解釈しました。
そういった、言ってみれば「時代を繋ぐ」作品であるから、当然反発する人も出てくるし軋轢が生まれはするのでしょうが……GガンやW、X、∀などが放映当時は批判されつつも、名作・佳作の名を勝ち取ってきたように、本作も後世に「名作」と呼ばれる作品になると違いないと確信しています。
だから今、賛否両論になっていることは、制作側も織り込み済みなのだと思います。
いやあ、それにしてもそういったガンダム的な諸々の要素を無視しても、脚本のレベルが高かった!
群像劇として、狂言回しを複数用意し、誰にどのような視点で肩入れするかで、物語のグラデーションが幾重にも重なっていく。
主人公のマチュなんか、親世代には「カミーユより狂暴」みたいに言われてましたが、若い世代の人達はいちいち共感を覚えていたらしく。
……あの脚本を庵野さんや鶴巻さん、榎戸さんのようなベテランが執筆された、というのは、よく考えなくても恐ろしいことですよ。好き。
*1:この辺りの話は当時の解説本などの受け売りだが、実際、SDガンダムのファン層は小学生が中心で、成長に伴いリアルガンダムへ移行するのではなく、「卒業」してしまっていた……という話も。良い感じの資料があれば後ほど追記したい。