たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

凪のあすから 第二十六話「海の色。大地の色。風の色。心の色。君の色。〜Earth color of a calm〜」感想

(以下ネタバレ)
「おじょしさまの墓場」でかつてのまなかのように繭に包まれていく美海を前に、光は無力感に苛まれていた。一方、ちさきにより海上に引き上げられたまなかは、自分を救い再びエナを身に付けさせてくれた美海の――そしてはるか昔に失われてしまったおじょし様の「好き」という気持ちを光り輝く海から感じていた――。

海神様の過ち、それはおじょし様の「人を好きになる気持ち」を奪った事ではなく、その気持ちがどこに向いていたのか、気付かなかった事にあった。その勘違いを続けたまま、おじょし様から奪った気持ちを凍らせておく為の手段が、凪いだ海だった――うろこ様が思わず失笑してしまったように、「神」とは名ばかりのニブチン男の勘違いが災害の原因だったとは、何とも皮肉めいた、笑うしかない冗談のようなお話ですね。
結局、おじょし様は海神様を、そして子供達を愛していた訳で、その心の内が分かった以上、もう海を凪の状態にして全ての想いを停滞させる必要もなくなった訳ですね……。
それにしても、海神様がうろこ様まんまのビジュアルだってのは分からないでもないんですが、海神様とおじょし様の二人の子供が光とまなかそっくりだったのは何か意味があるんだろうか。ただのスターシステムなのか?

さて、最終回を迎えて各人の恋愛模様がどうなったのか、少し振り返ってみたいと思います。
まず、紡とちさきはもう周囲も認めるような相思相愛バカップルになりました。そして寄り添う二人を優しいまなざしで眺める要は、ちさきへの想いについて一定の整理が出来てきた様子。彼のことを見つめ続けてくれているさゆとの関係も良好なようですから、この二人の前途も明るいのではないかと思います。
問題は、光とまなか、美海の三人ですが……一見、光とまなかが相思相愛で美海が初恋の痛みも海に流してすっきりした、ようにも見えますが、光の「変わっても変わらなくてもいい」という要への言葉や、美海がまなかの事を「まなか」と呼び捨てにした事、そしてラストシーンでの光とまなかの会話――まなかが五年前に伝えたかった事は、言葉で伝えるまでもなく既に光に伝わっている、という件から、実はまだまだ三人の関係は未知数なんだよ、という制作側のメッセージが伝わってくるように感じられます。
まなかが五年前に伝えたかった事というのは、光の事を異性として好きだけれどももっと大きな意味での「好き」の中にそれは含まれてもいるんだ、という事でしょうかね、おそらくは。一方で光のまなかへの「好き」も、異性へのそれを多分に含んでいながらも、彼女が笑っていてそれを傍で見られればいいというもっと大きな「好き」の一部である事が示唆されています。だからこその「変わっても変わらなくてもいい」なんでしょう。
そんな光にとって、美海は5年の眠りから目覚めてからずっと自分を見つめ守ってくれたかけがえの無い存在であり、自分の鈍感さが彼女を傷つけてしまったという思いから海神様に「好き」という気持ちを自分から奪って、代わりに美海を返してくれ、とまで願います。光にとって、美海の存在がどれだけ大きいのかを示している部分でしょうね。

何も私が美海派だから、という訳じゃありませんが、そういった訳で光とまなかと美海の関係というのは、これからどうなっていくのか決まってる事なんて何も無い――運命なんてものはないのだ、というのがこの作品の最後のメッセージなのではないかと思います。

2クールの間、その展開の面白さから毎回毎回視聴者を飽きさせてくれなかった本作。最後までたっぷりと楽しませていただきました。すばらしいアニメを作り上げてくれたスタッフ・キャストに惜しみない拍手を!