たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

CLANNAD 第13話「思い出の庭を」

年末年始放送休止だった分、かなり久しぶりな気がしますな。
(以下ネタバレ)
先端物理学者の言葉は時に詩的な美しさにあふれていることがありますが、ことみ父の言葉もなかなか素敵ですね。モデルは超ひも理論辺りでしょうか? と無粋な推測をしたりもしますが、さて。
親しい人との突然の死別、というのはそれだけで悲劇な訳ですが、ことみの場合は(後になってみれば)ほんの些細な我侭から来る「大嫌い」が両親へ向けた最後の言葉になってしまったわけで、その後悔の念が、その後のことみの人生の形を決定してしまいました。
まるで罪滅ぼしのように両親の後を継ごうと勉強して勉強して、たくさん勉強して。朋也との出会いで広がったはずの世界も、また元通り、いや以前よりも遥かに狭い、閉ざされたものになっていった。その結果が、朋也と再開した当初の、一人で図書室に篭り誰の言葉にも反応しない孤独な少女だった。その姿はまるで「罪滅ぼし」という名の呪いに侵されているような。
さてさて、その呪われた少女を解放すべく、朋也と友人達は思い出の庭を在りし日の美しい姿に戻そうと奮闘するわけですが、原作だとこの庭の復活作業は朋也一人で行われたことになっていたかと思います。まあ、このまま一人でがんばってしまうとそのままことみとハッピーエンドに突っ走ってしまいそうな雰囲気になってしまうので、話の都合上のため、という理由もあるのでしょうが、そこには更に、渚との絆を再確認するために必要であったから、という理由があるような気がします。
渚の言葉に「皆で一つのことのために力をあわせてがんばるのは凄いこと」みたいな台詞がありました。今回、朋也は自分が一人ではない、という事に気づきました。渚の言葉は、裏を返せば「皆でがんばるから何かをやり遂げられる」ということであると思います。
誰かと手を取り合う事で、何かをなしえることが出来る。朋也にとってのそれは、友人達であり、中でも渚である、という事が、優しい視線を交し合う朋也と渚のシーンに込められていると思います。
こうして、渚ルートへの布石が静かに積み上げられているわけです。
ま、個人的には今からでも杏ルートに移行してもらっても全くかまわんのですがね!(色々台無し)