たこわさ

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ゲゲゲの鬼太郎(第6期) 第49話「最終戦!名無しと真名」感想

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今回の満足度:1点(5点満点中)
(以下ネタバレ)

あらすじ

名無しの策略は結実し、まなという名の器は憎しみで満たされた。
まなを取り込んだ名無しは巨大な赤ん坊の姿となり、周囲の全てを消滅させていく。

目玉のおやじの犠牲により何とか逃げ延びた鬼太郎。だが、鬼太郎から既に覇気は失われており、名無しによって破壊されていく街を、ただ無気力に眺めるだけ。
だが、そんな鬼太郎を叱咤する意外な人物が現れた――ねずみ男だ。

ねずみ男は「名無しの気持ちがわかる」という。あれは、妖怪と人間の間に生まれた自分のように、どちらからも疎まれ、全てを恨むに至ったものの行動だと。
そのねずみ男の言葉に鬼太郎は再び奮い立つ。果たして、鬼太郎は名無しを止めることが出来るのか――?

感想

一年間酷いものにつきあわされたな、という感想しか浮かばない。
もちろん、単話で見ればそこそこの盛り上がりを見せたのは確かだ。しかしそこには「この一年の積み重ね」が皆無だった。

今回の鬼太郎は、ことさら未熟な部分が描かれてきた。まだ年若いまなも同様だ。
だから、本作は二人の成長物語だったのだろうが……その描き方が不味すぎた。

二人の成長を描くと言うならば、終盤に向けて二人が逆境を迎えながらも敵の罠に堕ちず、必死に抗いやがて勝利する、という形にするべきだった。
しかし前々回から描かれたこのエピソードは、二人が「若さゆえの過ち」を重ね続け、絶対的な悲劇を生み出してしまってから、ようやく逆転するという話になってしまっている。

「西洋妖怪編」ではきちんと描かれた「積み重ねの勝利」が、今回は描かれなかった。
二人の成長を描くのならば、周囲が名無しの罠にハマっていく中でも、鬼太郎とまなだけは流されずに抗い続けそれが勝利を呼んだ……というような展開にするべきだっただろう。
一瞬で都合よく成長するなどという夢物語は、見たくなかった。

それを象徴するのが、名無しを開放したのが「名前をつける」というたった一つの行動だけだった点だ。
「誰かのたった一言」が絶望の淵にある人間を救うことはある。だが、「一瞬にして全てが好転する」等という都合の良いことはない。救いというのは、スタートラインに立てなかった人間を、スタートラインまで連れて行くようなもの。その先は自分の足で歩かせなければ、本当の意味の救いではない。
本作はそこの所を徹頭徹尾、勘違いした作品だった。

あそこまで恨みつらみを抱え込んだ名無しが、彼の恨みの原点のたった一つを解消しただけで霧散する等あり得ない。名無しのコアとなっていた赤ん坊の心は開放されても、ここに至るまでに彼が吸収していた恨みつらみは消え去るわけがない。
作中では、彼が集めた恨みつらみは妖怪のものも人間のものも含めた、生きている限りどうしても発生してしまう負の感情だった事が明示されていた。それが、名無しのコアである赤ん坊が開放されたくらいで霧散するというのは、どうにも理屈に合わない。

そもそも、今回の一年かけたずる賢い計画を考えた部分の名無しは、どこへ行ってしまったのだろうか?
名無しのコアが報われなかった赤ん坊(水子)だったとすると、その本質は「無邪気な悪意」であろう。とてもではないが、今まで描かれた「裏で暗躍する老獪な名無し」像にそぐわない。
あまりにちぐはぐで、やはり理屈に合わない。

理屈に合わないと言えば、ねこ娘の件もだ。
最後に幼女となって再登場したねこ娘。鬼太郎いわく「閻魔大王に頼んで地獄から連れ帰った」そうだが、そんな芸当が可能ならば、鬼太郎があそこまでの怒りをまなにぶつける理由が無かったのではないだろうか?

もちろん、歴代シリーズでの設定を考慮するに、地獄から誰かを蘇らせることにはそれ相応の代償があるわけで、何でも無い顔をしているが鬼太郎は実はとんでもない負債を抱えている可能性もあるわけだが……それにしても、だ。
「魂まで消滅」と騒ぎ立てていたのは、一体何だったのか? 解せない。

――以上のように、本作は非常にフラストレーションの溜まる、稚拙な脚本で一年を締めくくってしまった。
今までの個々のエピソードが素晴らしかっただけに、残念でたまらない。