たこわさ

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うしおととら 第壱話「うしおとらとであうの縁」感想

原作既読。
(以下ネタバレ)

あらすじ

住職である父の言いつけで蔵の整理をしていた潮は、偶然に見つけた地下室で槍によって動きを封じられた化け物と出会う。自分を解き放てと要求する化け物だったが、見るからに凶悪そうなそれを解放するわけもなく、潮は地下室を塞ぎその場を去る。
しかし翌日、地下室が解放された事により化け物の積もり積もった妖気や負の感情があふれ出し、低級な妖怪達を呼び寄せてしまい――。

感想

原作漫画は私と同年代の少年漫画好きにとっては特別な意味を持つ作品であり、20年近くの歳月を経てのテレビアニメ化は、ファンにとって実に感慨深いものに違いない。先般アニメ化され好評を博した「ジョジョの奇妙な冒険」と同じく、否応にも期待が高まる所。

さて、第壱話を観た限りでは……悪い意味で90年代アニメチックな出来で少々期待外れと言ったところ。尺の都合もあるのだろうが、前半はコミカルかつスピーディに進んでいた展開が、後半になると「獣の槍」覚醒の描写を印象付ける為なのか急激にテンポが悪くなり、緊迫感に欠けてしまっていた。潮の髪が伸びていく演出に物凄く時間をかけたのに、肝心の低級妖怪を倒すシーンはほぼ一瞬で特に面白みのある演出もないと言う落差がなんとも気持ち悪い。

キャスト面では、事前に「とら」を演じるのが小山力也氏である事を知り「イメージと合わないような?」と懸念していたがふたを開けてみればこの上なくピタリと一致する演技と声色を披露してくれて、嬉しい誤算。しかしながら、主人公である潮の声が致命的にミスマッチ。あれは少年の声ではなく青年の声――未完成で荒削りながらもこれから急激に成長していく熱量を持った少年の声ではない。演技の上手い下手ではなく、致命的にイメージと合っていない。本来なら引き合いに出すべきなのではないのかもしれないが、過去に制作されたOVAにおける佐々木望氏の演じた潮は恐ろしいまでにイメージと合致しており、それと比べると何とも惨憺たる有り様と言わざるを得ない。

作画全体についても、前述の「ジョジョの奇妙な冒険」が原作コミックにおける独特の筆致をアニメーションという媒体に合わせて見事に「翻訳」していたのと比べると……あまりにも凡庸に過ぎるアニメーションであるように見受けられる。原作の独特のタッチを完全再現しろ、等と言う無体な事を言うつもりはないが、原作が90年代のものだからといって、アニメーションの作風まで90年代からあまり進化の感じられない風味になっているのは如何なものか。(※この点については下記追加部分で細かく言及

とはいえ、今回を見た限りではストーリー面での不安要素は少ないように思われる。原作者がシリーズ構成に携わっているので、改変があったとしてもある程度原作にマッチしたものになるのではないかと期待している。

今回溜まった鬱憤が次回以降で晴れる事を切望。細かい事を気にせずに、「うひょー!」とか「おお!」とか「やっぱり麻子よりも圧倒的に真由子の方がいいよな!」とか、そういった頭の悪そうな言葉で感想を埋め尽くしたくなるのような熱量を。

※追記

web上での本作に対する感想をいくつか拝見した所、概ね高評価を得ているようだが、やはり私的には解せない部分が多すぎた。一方の意見に偏り過ぎる場合たいてい碌な事がない。あえて苦言を呈する為にもう少し細かく言及しようと思う。

まず、やたらと顔アップが多用されていた点が気になった。特にとらの表情描写にそれが顕著に見受けられ、しかもやたらと尺を消費している為に正直クドい。冒頭の親子喧嘩シーンなど最たるもの。原作は普段は引いた構図を多用し、ここぞという所で顔アップやキャラクターのクローズアップを持ってくる、というメリハリの効いた演出が多かった印象。

とらの表情描写と同じように、全体的にクドいシーンが多かった。槍を引き抜くシーンや潮の髪が伸びていくシーンは、視聴者に印象付けるように尺を割いたのだろうが、切羽詰まった場面において演出ではなくあからさまに実時間での長さを感じさせる描写にしてしまったのは頂けない。槍を引き抜く件については、原作では「500年間とらを磔にしていた獣の槍が潮の手によっていとも簡単に抜けた」事のカタルシスが良かったのに、何故あんな改悪をしたのかはなはだ疑問。*1
麻子と真由子が襲われるシーンについては、原作でも潮が悲鳴を聞いてからかなりの時間が経過してからようやく二人の現状が描写されていたので、原作に忠実と言える。だが、アニメオリジナルのシーンをふんだんに盛り込んだ今回の構成をみるに、あの一連の場面では二人が襲われた瞬間も(潮が悲鳴を聞いた時点から少し巻き戻して)描くことも出来たのではないかと思う。悲鳴を聞いてから駆け付けるまでの潮の行動があまりにも悠長に描かれているだけに、なおさら。緊迫感が薄い。
潮はもっと即決即断の少年でそれが非常に気持ちよく、そしてそんな彼が時には苦渋に満ちた表情で悩むからこそキャラクターに奥深さが生まれていたはずだが、今回の彼はあまりに逡巡し過ぎており、彼の魅力がスポイルされ過ぎている。年齢不相応な意志の強さと、それでも時に大きな壁にぶち当たり苦しみながらもそれをとらと共に乗り越えていくところが本作の魅力の一つではなかっただろうか?

恐らく、ここまでねちねちと考察する*2人間は私を含めて少数派だと思うが、今後も勢いに押されて手放しで絶賛するようなことはせず、気難しい原作厨・アニメ好きとして語っていきたいと思う。逆に言えば、先にも書いたように私が感情むき出しの頭の悪そうな感想を連呼するようになったら、*3名作として認めざるを得なくなる。

*1:もしかすると原作者氏のアイディアなのかもしれないが。「月光条例」以降、氏の作品はクドい描写が多くなった印象を個人的には持っている。

*2:深い考察という意味ではなく陰湿という意味において。

*3:当然世間での評価も今と同じかそれ以上という前提において