たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

魔法少女まどか☆マギカ 第11話・第12話

考察や長文での感想を書けるほどにまだ自分の中で噛み砕けていないので、簡単に。
(以下ネタバレ感想)
「すばらしいアニメだった」
観終わって最初に思ったのはそんな事でした。
まどかが選んだ「願い事」――恐らくは「全ての魔女を消し去る」系であろう事は、多くの人が予想していたことでしょうが、その更に上を、文字通り更に高次の世界へとまどかは旅立ってしまいました。
現在・過去・未来、全ての魔法少女達が魔女へと堕ちる運命を消去し、またインキュベーター達でさえも人類との共存に向いた形で世界への存在を許したまどか。もちろん、魔法少女達はソウルジェムの穢れが限界に達した時、どちらにしろ消滅する事を免れないのですが、それでも彼女達の「願い」が魔女という穢れに犯される運命だけは回避出来る。
おそらく、彼女の能力を持ってすれば、魔法少女達の消滅さえも回避出来たのでしょうが、何故それをしなかったかについては、さやかの辿った運命が端的に表しているのでしょう。つまりは、彼女達の「願い」や「苦しみ」という大切な感情を「無かったこと」にはしたくなかった、というまどかの優しさが。
ほむらの記憶の中と、世界にほんの少しの残滓のみ残して消えてしまった鹿目まどか。彼女の願いが、個人の持つエゴイスティックな「ベストエンディング」ではなく、世界に歪みを残しつつも人々の願いや思いを消し去らなかった「グッドエンディング」だった事に、心からの拍手を。

おまけ:救われたほむら

10話の時にあまり書けなかったので、オマケ程度にほむほむについて語ろうか。
無感情で辛らつな言葉ばかりを吐き、他人を信用しないほむらという少女が虚構である、という事がはっきりしたのが第10話のことでした。
何度も何度もまどかを救うためだけに時を遡行してきたほむら。最初のうちこそ、仲間達に自分が未来で得た情報を打ち明け、協力を求めてきた彼女でしたが、その結果は本編を観ての通り、疑心を向けられたりはたまた真実を目撃して錯乱した仲間に殺されそうになったり。
終いには、救いたいはずのまどかに止めを刺さざるをえない状況にまで追い込まれてしまいました。
その結果、ほむらは誰にも頼る事が出来なくなり、独りで全てを背負い込む事に。
これがゲームならば、少しずつ「最良の一手」を模索するために、心を鬼にしてあれやこれや手段を試しながら何度も世界をループするところなんでしょうが、残念ながらほむらの精神は普通の人間のそれと変わりない。たとえ何度目だってやり直せたって、まどかや仲間たちの「死」は彼女にとっては紛れも無い「現実」であることに変わりは無い*1
本当ならば、仲間に頼りたかった筈のほむら。でも、彼女と同じ時間軸を生きている人間は誰もいません。そして、たとえまどかを死の運命から救ったとしても、「ほむらの親友であるまどか」はもうどこにもいない。どっかの菌糸類さん風の表現を使えば「なんて――孤独」といったところでしょうか。
「願いが叶っても救われることが無い」――それがほむらという存在でした。
そのほむらに、どうやったら救いをもたらす事が出来るか? まどかの願いはまさにそれに対する明確な答えの一つだったのでしょう。
鹿目まどかという人間は永遠に消え去ってしまいましたが、ほむらの記憶の中には確かに息づいている。いつでも彼女を限りなく遠く極めて近い場所で見守っている――ほむらが今まで過ごしてきた全ての時間を理解し、「わたしの、最高の友達」とさえ言ってくれたまどかが。
……ほむらにとって、これは紛れも無い「救い」であったんだな、としみじみと思いました。

最終回放映後、注文数が偉い事になっているだとか。私は……悩み中。

*1:実際、QBによって純粋な時間の巻き戻しではなく並行世界への移動が示唆されているので、「無かった事」にはなっていないと考えられる。