たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の感想という名の怪文書

『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』+『シン・エヴァンゲリオン劇場版 冒頭12分10秒10コマ』


えー、Twitter等でも書いていますが……。
数年前から体調不良著しく、映画一本観るのも結構辛い状態かつ持病抱えてる同居人が多いので新型コロナ怖いよー、な状況なのでシンエヴァもすぐには観に行けなかったんですが、先日ようやく観賞出来ました。

TLが「ありがとうエヴァンゲリオン」とか目をキラキラさせている感想が多かったので、ややドン引き気味に観に行ったのですが、うんなるほど。これは「ありがとう」というか「おめでとう」というか、絶賛するしかない内容だよなー、等と思った次第。

とは言え、私的に思う所があったのも事実なので、久々にブログに感想という名の怪文書を投稿しておこうと思います。

以下、本編のネタバレを含みます。
また、各所の考察や公式のインタビューなどはあまりチェックできていない&観賞から数日経っているので記憶違いもあるかと思いますので、あくまでも「こう感じたアホが一人いた」という温かい目で読んでいただければと思います。


シンエヴァはNTR

まず第一の感想が、「アスカがNTRた!!」「シンジくんもNTRた!!」です。
あ、ネットスラングが分からない人の為に一応書いておくと、「NTR」=「寝取られ」です。

アスカが「彼」とああいう関係になっているとは全く予想外で、多分今回の劇場版で一番びっくりさせられたと思いますw
シンジ君の方は、「彼女」がどういう役割で物語に投下されたのか……という事を考慮すると「ああ、そりゃそうだよな」くらいにしか思わなかったんですが、まあそれでもNTR感あって居心地の悪さもあったり。

シンエヴァって色々なものに決着をつける話だったと思うんですが、その最たるものの一つが「ヒロインレース」だと思うんですよね。
各ヒロインに派閥が出来てスピンオフや二次創作でカップリングが盛んに行われてきましたが、それに対するある種のファイナルアンサーが示されたというか。

シンジ×綾波は、まあ遺伝子的な繋がりもあってそもそも成立していなかったのを、精神的にも「お互いが親であり子」みたいな関係であったことを明示して、かなり気持ち良い別れ方をさせたなぁ、と。
シンジ×ミサトも、旧作では明示的にある種の「愛」として描かれていましたが、加持さんが見事にヤッてくれましたので、今作では「信頼のおける相棒同士」あるいは「姉と弟」的なポジションに落ち着いた。

中でもアスカとシンジの関係性については、踏み込んだ描かれ方がしたように見受けられました。
式波さんは惣流さんとは厳密には同一人物ではないのかもですが……それでも、旧シリーズにおける二人の関係ではっきりしなかった部分が明言されたように思えます。
色々取り除いてみると、シンジとアスカは相思相愛だったのだな、と。
ただ、旧シリーズでも本作でも、様々な事情があって二人が結ばれることはない、みたいなノリになっているので……。シンジ×アスカ派閥の方は試合に勝って勝負に負けた、みたいな感情を抱いたかもしれません(私だよ


だから、最終的に油揚げをかっさらっていったマリという存在は、まさにトリックスターそのものだったのだろうなぁ、と。
膠着したヒロインレースの向こうには、実は砂漠しか広がっていなかった。なので、彼女というオアシスに辿り着く必要があったというか、無理矢理連れ込まれたというかw
まさかヒロインレースの勝者が、ぽっと出の最年長新ヒロインだとは、このスミダの眼をもってしても見抜けなかったわい(?)。

旧作では描けなかった「親子の対話」を真っ向から描いた

あと、意外に思ったというか「庵野さんがこれを書いてしまうか!」と思ったのは、ゲンドウが過ちの先で僅かなシンジへの罪悪感を示すのではなく、シンジと全力でぶつかり合うことで自らの過ちに気付き果てる展開になっていた点。
庵野監督の好みなら、ゲンドウは最後まで大人になりきれない故に妻に会えない可哀想な男のままで死ぬのかな、とか勝手に思っていたので。

でもこれ、新劇場版シリーズでは避けては通れない展開だった、とも言えるんですよね。
だって、殆どのファンはもう年を取ってしまっていて、青春の残滓を味わいたいだけではなく、大人になった自分達の感性や価値観にヒットするものも観たい訳ですから。
もう初代ファンは大きなお子さんがいる方も多い中で、「親子の対話」をやらずに済ますことは避けたのかもしれないな、等と。

シンジ君がテレビシリーズよりも逞しい「シンジさん」になっていたのも、そこへの布石だったのかな、と。
ゲンドウよりも先に大人になってしまったシンジくんが、父親に引導を渡す(というか優しくぶん殴ってあげる)展開を見られるとは思ってもみませんでした。

ロボットアニメであることを最後まで捨てなかったシンエヴァ

本作の高評価が多い理由の一つが、これじゃないかと思います。

旧シリーズは終盤になるとバトルシーンらしいものも殆どなく、派手な作画と思わせぶりなインナースペースでの葛藤や地球規模の破壊と再生が描かれていて、ロボットアニメとしてのカタルシスであるクライマックスのド派手なバトルも無かった*1のに対し、シンエヴァは最後の最後まで「エヴァのド派手なバトル」を捨てなかった。

もちろん、マイナス宇宙内で繰り広げられた初号機と13号機の戦いは、イメージ映像であり、ミサトのマンションやシンジたちの教室、果てはスタジオセットをバックに戦うなど、メタ的な描写ではあるんですが……旧作でおざなりにされた部分を補完した演出とも言え。
ヴンダーの特攻やマリの奮戦も最後の方まで引っ張りましたしね。

内的世界で対話による解決を試みる展開ももちろん好きなんですが、エヴァの魅力ってそれだけではなく、やっぱりバトル描写が凄かったというのもあるんですよね。
そこのところを、ギリギリまで見せつけてくれたことには、イチロボットアニメファンとして感謝しかありませんでした。

「セカイ系」ではなくあくまでも群像劇として

旧エヴァの洗礼を受けたクリエイターたちが、その後「セカイ系」と呼ばれる傾向の作品を生み出すに至りましたが……シンエヴァは「セカイ系」の始祖*2たる構造を維持しつつも、どちらかと言えば「群像劇」「人間賛歌」としての属性が強かったように思えます。

ゲンドウやシンジの内的な決定が世界の命運を決めるのではなく、沢山の人から託された思いと、人々の希望を乗せたヴンダーとミサトの犠牲によって為された最後の武器が勝利の鍵となる。
ゲンドウの「個の願い」を、シンジの「人々の願いの器」が打ち破った、というのが本作の決着であった、と私は読み取りました。

奇しくもこれは現実世界の合わせ鏡になっていて、高度の情報化されたこの世界は悪意ある「個」によって脆くも崩れ去るほど軟弱で、冗談抜きで「誰かの思想・妄想・渇望」が世界を滅びしかねない。
ゲンドウのような存在は決して絵空事ではない。では、人類はどうやってそれに立ち向かっていけばよいのか? というテーマが内包されていたようにも思えました。
だから、シンジ君に一人で戦わせるわけにはいかなかったのだろうな、と。

凄い余談ですが、現代社会の情報化社会の危うさをセキュリティ専門家の方がラノベの題材にして書いている作品があるのですが、これが大層面白かったのでここに併記しておきます。
私でも知っているような「現実に存在する技術のみ」を題材に書かれた小説なので、勉強の入り口や話題作りなどにどうぞ。

閑話休題

とにもかくにも、シンエヴァは「面白かった! ありがとう!」と絶賛出来る一方で、我々に様々な置き土産を残してくれた作品でもあった、と思います。
エヴァンゲリオンは終わった。けれども、後に続くものはまだあり、更なる燃料が投下されたと言える部分も残っている。
思いの外に若い世代も新劇場版シリーズを観てるらしいので、数年後、あるいは今まさに「シンエヴァの申し子」とも呼べる作品が生まれてくるかもしれません。

「ありがとうエヴァンゲリオン」であると同時に、「おめでとう私達」であるというか。
実に見事な「終わり、そして始まり」を見せてくれたと思います。

すぐれた作品というのは「きれいに終わる」だけではなく、「後に残るもの、続くものがある」のだな、と再認識させてくれた映画。それが「シン・エヴァンゲリオン劇場版」だったのだと思います。


以上、勢いだけで書いた感想という名の怪文書でした。

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*1:私の中では少なくとも無かったことになっているが、異論はあるかもしれない。

*2:異論はあるかもしれないが、便宜上