たこわさ

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 第2話「彼と彼女の告白は誰にも届かない」感想

第一期視聴済み。原作既読。
(以下ネタバレ)

あらすじ

戸部からの依頼により、修学旅行中に彼と海老名の仲を近付けるべく策を巡らす八幡と結衣。しかし、事情を知っているはずの葉山は何故かサポートではなく妨害とも受け取れる行動を続け、八幡は彼の真意を量りかねる。その夜、八幡は深夜のコンビニで偶然にも三浦に遭遇する。いつもは八幡の事など歯牙にもかけない三浦だったが、八幡と結衣が戸部の為に動いている事を察しており、「余計な事はするな」と苦言を呈してくる。彼女にとって、今の葉山グループの状況は好ましいものであるが、もし海老名が自分の好まぬ状況を押し付けられそうになったならば、彼女はいとも簡単に今の人間関係をリセット――諦めてしまえる人間である事を八幡に伝え、戸部の告白で葉山グループの「今」が失われてしまう可能性が高い事を示唆する。

翌日、八幡と結衣はクラスが別々の為に離れて行動していた雪乃と合流し、共に修学旅行を楽しむ。穏やかな時間が流れる中、しかし八幡は三浦の言葉、そして葉山の真意を気にかけていた。
夕刻、戸部の告白の瞬間が刻一刻と迫る中、八幡は葉山に真意を問いただす。八幡の詰問に、葉山は自分も三浦と同じく今のグループの関係が気に入っており、何とか戸部の告白を先延ばしにしたい、という本音を漏らす。そして彼は語る、自分にはどうすれば状況を打開できるかがもう分からない、と。自分のこの言葉を聴いて八幡がどんな行動に出るのか、よく理解した上で――。


感想

今回は長いです。


前半は川なんとかさんの駄目可愛さと思ったよりも八幡を頼りにしている風が光っていましたが、それはさておき。

「君臨すれども統治せず」な女王然とした三浦ですが、その実、今の葉山グループの状況を物凄く気に入っていて、いつも気にかけていたんですね。八幡への苦言についても、彼女は八幡が思っているよりもずっと八幡の事を――というか結衣と共に行動する彼を気にかけていた結果なのでしょう。本当に無関心ならばわざわざ彼に「ヒキオ」などという愛称(蔑称とも言う)を与えないでしょうし。憎き雪ノ下の仲間、という事で敵視している向きもあるのでしょうが(笑)。どんな感情を持っているにせよ、きちんと本音を――しかも海老名の本質に迫る情報を添えて――漏らせばきちんとそれを受け取ってくれる相手だと認識しているからこそのあの行動なのでしょうし。葉山に依存しているだけのようにも見える三浦ですが、むしろ彼女は自分の役割を弁えていて、だからこそ葉山もグループ内の関係を円滑に維持できている、という構図が見えてきそうな。

葉山については……本当に八幡の事をよく理解しているのだな、と。理解しているからこそ、自分のやり方では現状は打破できず八幡に頼るしかないと言う事も、恐らく奉仕部を訪れた時点で分かっていたのでしょう。でも、出来れば頼りたくなかった。彼ならばこの事態を打開できる、けれども彼の「最も冴えた解決策」には彼自身の保身という概念が全く欠けている。絶対に、自分一人で泥を被る。文化祭の時、相模を「失敗」させないために悪役を演じたように。
自身のポリシーとは正反対で、しかも八幡という一目置いている人物に犠牲を強いる、その「解決策」。葉山がただの申し訳なさから憂いの表情を見せていた訳ではない事は明らかでしょう。もしかするとその憂いの中には、八幡が我が身を痛めて問題を解決する事で、自分の友人であり八幡へ好意を寄せている*1結衣や、八幡を頼りにしている自分にとって特別な存在である雪乃が傷付く事への忸怩たる想いが含まれているのかもしれません。

そして今回の「真の依頼者」である海老名さん。本心から今の生活を好ましく思いつつも、同時に酷く冷めた自分を持っておりそれを自覚しながら、危ういようで実は確かなバランス感覚で日々を満喫する彼女。八幡が数多くの失敗や恵まれぬ交友関係から腐ってしまったのとは違い、恐らくはじめから腐っていた海老名。二人とも自分が腐っている事を諦めているようですが、実は全く別の性質を持っています。八幡は、自分の感情を「諦め」という名の蓋の下に閉じ込めてしまっている。けれども、海老名はまず諦めがそこにあってその上に感情を住まわせている。だからこそ最後の二人の会話が成立するのでしょう。

さて今回も八幡は自分のやり方を貫きました。自分が泥を被れば万事解決、葉山達のような光の住人にはその輝きを維持してもらい、自分はいつも通りのボッチに――とはなりませんでした。文化祭の時に平塚先生が諭したように、今の八幡には彼が傷付く事で同じように傷付く、彼を大切に思っている人達――結衣と雪乃がいます。
「貴方のやり方、嫌いだわ」という言葉だけを残して去ってしまった雪乃。必死に踏みとどまって八幡に寄り添おうとしたけれども、彼の虚勢につい本音を――八幡が傷付いた事で自分と雪乃も傷付いた事、例え嘘でも、嘘だからこそ自分達の前で「告白」なんてして欲しくなかったという想い――を吐露し、泣きながら去ってしまいました。
今まで彼が得た事の無い、友情のような恋愛感情のような愛情のような、信頼感のような依存心のような、まだ名前の無い、結衣と雪乃との間にある感情を持て余してきた八幡。結衣も雪乃も、一歩踏み込んできてくれていたのに、直接向き合って「失敗」してしまう事が怖くてモラトリアムを気取っていた八幡に、これが下された罰なのかもしれません。

八幡はこのまま二人との絆にも似た関係を失ってしまうのか、それとも――。

三人での楽しい思い出を刻んだ後だけに、心にズシンと来る、そんな一つの結末でした。彼らが過ごした穏やかな時間が、第一期の主題歌「ユキトキ」のインストゥルメントという象徴的なBGMで彩られたていたので、余計に。

余談。彼らの感情についての考察

原作知識がある分、少々バイアスがかかっているかもしれませんが、極力アニメでの情報を基にして、八幡、結衣、雪乃それぞれがお互いに抱いている感情について、少々考察してみたいと思います。

まず八幡。
雪乃に対しては時折見惚れている事があったり、デレられた時に思わず赤面してしまったり、今までの描写からは普通に異性として意識している事が窺えます。ただ、この二人の関係の根底には、違うベクトルながらも生きるのが不器用なもの同士の共感、もしくは依存関係が存在します。だから単純な恋愛感情、という訳ではないのでしょう。
結衣に対しては、自分とは異なる世界の生き物として当初は警戒しつつも、彼女のフレンドリーな態度に対しては「誤解しちゃいけない」と自分に言い聞かせているようにかなり意識している事が窺えます。結衣の好意的な態度が憐憫から来るものだ、という誤解が解けた今となっては、その好意がどの程度のものなのかはあえて推し量ってはいませんが、彼女の好意を素直に受け取っているようです。なので、文化祭の時結衣が一歩どころか二歩くらい踏み込んできた時には、照れつつも思い切りお茶を濁しています。多分、過去のトラウマや今の距離感を気に入っている事もあって、確定的な答えを出さずにいるのでしょうね。
上でも書きましたが、八幡が二人に抱いているのは名前の無い感情、もしくはあえて名前をつけていない感情なのでしょうね。だから、本当ならば葉山と同じように現状を維持したいのでしょうが、それは彼の心情に反する、彼曰く「本物ではない」。でも、今回彼が選んでしまった手段は、葉山のやり方以上に「偽物」でした。道化を演じ、詭弁を弄し、その報いを受けた。それを解消するには自分の感情と向き合い、二人とも向き合う必要がある訳ですが、さてどうなる事やら。

次に結衣。愛を込めてガハマさんと呼びたい所ですが、ここでは自重します。
結衣の役割は緩衝材というか潤滑油というか、間に立って八幡と雪乃の手を離さない、要とも呼べるものです。なにせ揃ってツンデレな八幡と雪乃の事です。結衣がいなければ、初期のような不毛なやりとりだけが日課の毎日が続いていたかもしれません。なにせ、正攻法を押し通す結果一人になってしまった人間と、邪道な策ばかりを労して(本当は人恋しいのに)あえて一人になっている人間ですから、共感する事はあっても意見が一致する事は少ない事でしょう。
そんな二人がお互いに信頼に近い感情を抱けるようになったのはひとえに結衣のお陰です。しかし、結衣お得意の「空気を読んで場を取り持つ」能力だけではこうも上手く行かなかったはず。何せ学校屈指の難物二人相手ですから。そんな二人を相手に彼女が上手く立ちまわれた理由、それは恐らく「愛」でしょう。
雪乃に対しては、当初は「格好いい」という憧憬の念から懐いた訳ですが、今となっては雪乃の何でも器用にこなすのに生き方だけは不器用、という彼女のアンバランスさ――ある種の人間味に放っておけない守ってあげたい一緒に居たい一緒に居て欲しいなど様々な感情を抱いて、べったりな状態に。結衣の感情が羨望でも憐憫でもない純粋な好意から来ている事は、雪乃の結衣へのデレッデレ振りから容易に想像できる事でしょう。
八幡に対しては――遠大なミスリードトラップでなければ、やはり恋愛感情を抱いているのでしょうね。同じクラスなのに自分の顔も名前も覚えていない、教室ではいつも孤立していて口を開けば卑屈な言葉ばかり、でも、体を張って犬を助けてくれた、多分優しい人。そんなアンバランスさに興味を抱いたのか、はたまたいつかお礼をしようと思って目で追っていた結果、いつの間にか目が離せなくなったのか。恐らく当初はそういった理由から「興味深いし恩義のある人間に対する純粋な好意」という感情を抱いていたのだと思います。しかし、蓋を開けて見れば八幡は予想以上に卑屈で毒舌で、思った以上に不器用な優しさを持っていた訳で、そりゃあそんなギャップを見せつけられたら好意のレベルが1つ上がってしまいますわな。しかもその後、八幡の誤解に傷付いてしまったり、八幡と雪乃の関係を誤解してテンパってしまったり、八幡が不器用な優しさを発揮して周囲の人間の問題を解決する様を見ているうちに、更に好意レベルが上がってしまったのだと思われます。文化祭の時の、含みを残しつつもはっきりとした「告白」や、そんな自分を前にして今回八幡が「告白」した事で生まれてしまった感情――多分辛い心の痛み――からも一目瞭然ではないかと。あくまでミスリードを誘っているのでなければ!

最後に雪乃ですが……結論から言うと多分彼女が二人に抱いている感情を言葉にするならば「依存」が一番近いのではないかと思います。結衣への依存は、何と言うか最早百合百合していないか、というレベルでしょう。純粋な好意を向けてくれる結衣に対して、彼女もまた純粋な好意を傾ける。今までの描写から、雪乃は家族からも愛されず純粋な好意を向けてくれる存在も、対等の立場に居てくれる人間もいなかった事が示唆されています。そんな彼女の前に現れた、当初は憧憬、途中からは純粋な――対等な好意を向けてくれる結衣という存在がいかに大きい事か、察してあまりある、とはまさにこの事。でも逆に言えば、結衣がこれだけの好意を向けてくれなければ、雪乃はそこまで踏み込んだ関係を築かなかったのではないか、と思います。恐らく、手間のかかる友人というか妹分、程度になっていたのではないでしょうか? 相手が強く抱きしめてくれたから自分も同じ位かそれ以上に抱きしめ返した、そういう意味の依存心――決して悪い意味ではなく――が雪乃が結衣に抱いている感情である、と考えます。
では、八幡に対してはどうか? 今までの物語の中で、雪乃は万事そつなくこなしてきましたが、それはひとえに八幡のサポート――汚れ役や押し付けられ役を演じてくれた――があっての事。もちろん、彼のやり方の全てを是とする訳ではないでしょうが、それでもかなり頼りにしている事は間違いないでしょうし、第一期最後の描写からは彼に親愛の情を抱いている事が窺えます。ただ、本来彼女は正論や正攻法を突き詰めるタイプですし相手の力量に合わせて能力をセーブする、という事が出来ない人間でした。その為、反感を買う事はあっても感謝される事はなかったし、遠巻きに憧れられたりする事はあっても頼ってくれたり同じ目線で親しくなってくれたりする人はいなかった。それが八幡と出会ってから全てが変わった。結衣一無二、もとい唯一無二の親友を得たし、汚れ役を引き受けてくれる人がいるから怖がられずに尊敬され信頼される存在になる事も出来た。文化祭では文字通りステージで脚光を浴びた。その全ての影に八幡あり。利用なんて意図は彼女の中にはある訳もないですから、これは依存と呼べましょう。
そもそも、彼女が自ら進んで表舞台に上がって人の役に立とうとしたのって、恐らく八幡に触発されたからなんですよね。最初の、結衣の依頼の時のあの要領の悪さから見るに、八幡が来る前の奉仕部ってあんまり上手に機能していなかったんじゃないかと思われます(そもそも活動していたか不明ですが)。依頼があってももっと淡々と感情を交えずに対応していたんだろうな、と。もしくは相手を徹底的に叩き潰して強引に問題を無かった事にするとか。やだそれなんてぶきのん?*2 だから、今の彼女の姿はあくまで逆のやり方ではあるけれども、八幡の行動をトレースした結果なのではないかな、と。

原作ではもっと掘り下げた描写があるのですが、アニメは意図的にニュアンスを変えてくる場合があるので(但し着地点は変わらない)、果たして私の考察が的を射ているのか、全く的外れなのか。そういった「答え合わせ」も楽しみつつ引き続き視聴したいと思います。

*1:恋愛感情と確定しているかどうかは別として。

*2:不器用なゆきのん。略してぶきのん。