たこわさ

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中二病でも恋がしたい! Episode XI「片翼の堕天使」感想

原作はノータッチ。
(以下ネタバレ)
眼帯を外し中二病的言動を止めた六花。ぎこちないながらも「ちょっと不器用な普通の美少女」振りが中々板についていますが、やはりどこか無理をしている様子。そんな彼女を元の中二病に戻そうと凸守は一人奮戦しますが……。
勇太の態度にモヤモヤする人も多いのでしょうが、彼には六花に中二病的言動を止めさせたという責任感(というか負い目)や十花に後を託された義務感、そして六花が母親と――ひいては現実と――きちんと向かいあいこれからの生活を無事に遅らせなければならないという気持ちなどが重くのしかかっているわけで、むしろ十六歳の少年としてみれば十分に大人すぎる態度なんですよね。
ただ、最後に凸守が叫んだように、六花は「いつも勇太が味方してくれたから」今までやってこれたし勇太の事を好きになった訳で。今の勇太の態度は「六花の事を真剣に考えている」けれども、はたして「六花の味方」であると言えるのか? という問題が横たわっております。
確かに六花の中二病は、十花や母親が心配するように「現実逃避」的な側面を強く持っていました。でも、本当にそれだけだったのかといえば、答えはNOでしょう。
中二病があったからこそ凸守のようなウマの合う相棒と出会えたし、モリサマのような頼りになる友人が出来たし、くみんや一色のような楽しい仲間を得られたし、何より勇太という恋人とめぐり会う事が出来た。凸守と中二病ワールドでバトルする六花は、きっと純粋に楽しい気持ちで満ち足りていた事でしょう。
もちろん、異国へ旅立つ姉や久しぶりに一緒に暮らす事になる母親の手前、中二病的行為を控える必要はあったでしょう。だからこそモリサマも六花が「普通の女の子」に近づくためにあれこれアドバイスを重ねたのでしょう。でも、全てを捨て去る必要が果たしてあったのでしょうか? 同じくモリサマから勇太に投げかけられた問いに、全ての答えが詰まっていたように思えます。
六花は自室の中二病グッズを片付ける時に「何を処分して何を残せばいいのか分らない」と勇太に呟きました。その言葉は、彼女にとって中二病というものが、ただの現実逃避の為の道具ではなく、楽しい思い出であった事を如実に表しています。でも、勇太は責任感に押しつぶされて、分っていながらも「六花の本当にしたいこと」を尊重してあげる事が出来ませんでした。それは、二人の思い出でもあったというのに。
列車の中一人呟く六花。声にならないその声があまりにも哀しい。さて、一体どんな大団円を迎えてくれるのやら。

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