たこわさ

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氷菓 #17「クドリャフカの順番」感想

原作は「氷菓」「愚者のエンドロール」まで読了。
(以下ネタバレ)
文化祭最終日。衆人環視の中、古典部の準備した「校了原稿」が失われ、怪盗「十文字」の勝利に終わったかに見えたが……?
前回の状態からいきなり真相に辿り着き、更にはそれを利用して「氷菓」の売り上げまで伸ばしてしまうという奉太郎のチート探偵振りと強かさには白旗を揚げざるを得ないな、と。
もちろん、彼の推理が果たしてロジカルなそれなのか? と問われるとかなり疑問ではあるのですが、奉太郎は膨大な情報と推論の中から閃きで真相に辿り着くタイプなので、必ずしもロジカルである必要は無く、むしろ漫画的探偵のノリで合っているのではないかと思い。
さて、一方で奉太郎に「期待」する里志は、その複雑な胸の内を摩耶花に語ります。正直、里志のこの「期待」という言葉の使い方については、私的には全く同意できないのですが*1、彼の抱く感情についてはよく理解できます。
里志が憧れ欲しそして諦めた「真実に辿り着く閃き」を持った奉太郎。だが、彼自身は「省エネ主義」を語りその能力について自己肯定する事はないし、積極的に使う事も(えるの「好奇心」への贄以外には)無い。それでも彼が自分には手の届かない真実の果実を得ることを「期待」して止まない、その気持ち。
そして、「夕べには骸に」に関わった人々も、里志と同じ気持ちを抱いていました。
漫研の河内は、摩耶花が「『夕べには骸に』は一枚劣るけど」と評した漫画の作者でした。恐らく、彼女は真摯に漫画という物に取り組んでそこまでの実力を得たのでしょう。しかし、友人である安城が初めて書いたという「夕べには骸に」の原作は、実に見事な出来でした。最後まで読んでしまえば、否応にも安城の才能――自分とは比べるべくも無い高みにあるそれ――を認めざるを得ない、そんな想いから、河内はその漫画を読了しないまま押入れの奥深くに「封印」しました。
総務委員長である田名辺は、「夕べから骸に」の背景担当でした。恐らくは、彼も漫画(もしくはイラスト)に真剣に取り組んでいた人間なのでしょうが、それが陸山が初めて――しかもその場のノリ的な感覚で描いた「夕べから骸に」の作画は完璧と言って差し支えない物でした。しかも、陸山は安城が残していった次回作「クドリャフカの順番」の原作を既に入手していたのに、描こうとしなかったという。間違いなく、名作が生まれたはずなのにそれをしなかったという。――それに対する陸山の想いは、この一連の「十文字」事件の全容を眺めてみれば言わずもがなと言ったところでしょう。
里志が「期待」と表したその感情、それは「羨望」であり「嫉妬」であり「諦め」でもある、色々な感情が綯い交ぜなったものなのでしょう。憧れるが妬ましく、また認めてしまえば自分にそれが「無い」事をも認めてしまわざるを得ないという、その想い。

あー僕もうっかりしていたよ。こいつを忘れちゃいけなかった。
「データベースは結論を出せない」んだった。

里志のこの言葉に込められた想いを恐らく誰よりも理解できた摩耶花。彼女がそっと里志の服を掴んだ、さりげないけれどもきっと里志には何よりも救いになったであろうその行為。フレームアウトして直接描かれませんでしたが、その摩耶花の優しさに里志がどんな「お返し」をしたのか。それは言うだけ野暮と言うものでしょう。

*1:「期待」という言葉は(実際の立場とは関係なく)どちらかというと上から目線で使われるものだ、と私的には思うのですよ。