たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

劇場版「機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-」

先日観てまいりました。
(以下ネタバレ)
面白かった。
いや、もちろん色々と文句を言いたい所もありましたが、「映画としての出来」が半端なく良かった。
いきなりスーパーロボットガンダムマイスターズが登場した時は流石にちょっと引きましたが、パニック映画さながらの展開が続く序盤、絶望的な状況下で頼みの綱の刹那さえも傷つき倒れてしまい背水の陣まで追い込まれた地球人類を描いた中盤、そして大迫力の戦闘シーンと様々な人間ドラマが見事に融合した終盤。きっちりとした起承転結でありながらもマンネリ感を感じさせないで、終始緊張感をもって楽しむ事が出来ました。
一方で、「劇場版で新キャラクターが出ると大概かませ犬で終わる」の法則に見事に従ってしまったデカルト・シャーマンのように、あんまり登場に意義を感じなかった要素もありましたが、全体の出来から考えればマイナス要素にはならないかもしれません*1
私的には、我らが主役グラハム・エーカーの戦死が死ぬほど辛かった……いや、彼は自身の言葉通り「死んでいない」と思わなければならない所なんでしょうがね。「実は生きていた」をこれほど切望した事はありません。とはいえ、この作品で一番かっこよかったのがグラハムだった事もまた事実ですが(?)。
その他のキャラクターについても、それぞれのドラマをきちんと描いていて良かったですね。
小熊は「そこで死ぬなよ(´Д⊂ヽ」とツッコミを入れたくなるくらいには見直せましたし、ビリーはなんだかギャグと解説お兄さん振りが板に付きすぎてて面白かったし、沙慈は本来の役割「何の力も持たない一般人がどのように『戦う』のか」を表す場所に戻った感じだったし、ミレイナは遂にティエリアへの告白を果たしましたしw
フェルトについては、立ち位置は完全にヒロインだったのに、何だか刹那との関係が達観しすぎていて見ている方は辛い感じに終わった気がしますね。刹那が目覚める時に観たビジョンが、かつてフェルトが送ってくれた花だったことからも、刹那の中でフェルトは大きな存在なんだと推測する事は出来ますが、すっきりしなかったのは事実。
思い切って、刹那が旅立った後にイノベイターに覚醒して刹那の後を追う展開とか、実は刹那との間に子供が、とかそういった超展開位やってくれても良かったのでは、と。まあ、つまり全然フェルト派じゃなかった私がそんな事まで考えるくらいフェルトが可愛かったと言うことですよ!(何
刹那は刹那で、物凄く人間味が上がった一方で*2イノベイターとして普通の人間とは異なる価値観を自ら創造していかなければならない葛藤など、はじめて主役らしい主役になったなぁ、と。
ラストについては色々と賛否両論があるようですが、私的には「ちょっと舌足らずすぎるけど有り」でした。
刹那は「大きな力」を持っていたが、「答え」を知らなかった。
一方のマリナは、「正しい答え」を知ってはいても「それの実現手段」を持たなかった。
手段を持つ刹那と答えを持つマリナ。この二人の出会いが最終的に平和を実現する。ガンダム00とはつまりそういう物語だった、という事でしょうか。

*1:もっとも、シャーマン自体は恐らく、「イノベイターであるから未来を切り開ける」のではなく「イノベイターとなった刹那だからこそ未来を切り開けたのだ」という事を証明する為の生贄だったのでしょうから、存在意義がなかった訳でもないでしょうが。

*2:「仲間の危機」を感じ取って、真っ先に沙慈とルイスのところに駆けつけるとか。決して「アレルヤ達より沙慈達の方が大事なのか」などとツッコんではいけない。