たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

「ホテル・ルワンダ」パンフレットを巡るあれこれ

http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/03/finalvent_63d2.html
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/03/finalvent_b42b.html
論旨には概ね肯けるのですが、私はどうもこの文章それ自体に「違和感」を禁じえない。
私の誤読でなければ、BigBang氏の主張は「ルワンダの殺戮を、『関東大震災時の朝鮮人虐殺』によって『我々の問題』と称して引き寄せる事で、結果的にルワンダを『遠い存在』にしてしまってはいないか?」という事になりましょうか?
……これは、私自身がそうは思わなかったし、見て回ったブログの中にもそんな勘違いな論理を展開している人が(一部のアレを除いて)存在しなかったので、一体誰を的に絞った指摘なのやら、よくわからないのですよね。
結局、町山氏がコラムの末尾に朝鮮人虐殺の話を持ってきたのは、「ホテル・ルワンダ」をただの娯楽として消費する事への警鐘と、行き過ぎた理論主義*1の打破、――つまりは「傍観者」に対して「当事者意識」を提示する為にあったのであって*2、それ以上でもそれ以下でもないと思いますし、(町山氏のコラムの)肯定派の方々も*3、言葉は違えどほぼ同じ様な認識であったはず……。
つまり、私の感じた違和感とは、「BigBang氏は一体誰を啓蒙するつもりで熱弁を振るっておられるのだろう」という事。表題は「finalvent氏を支持する」となっているが、finalvent氏に対して反論をしてるブログをざっと見回しても、BigBang氏が糾弾するような思考停止の輩は見当たらない*4
ここで、元となったid:finalvent:20060304:1141473634のエントリーのエントリーに目を通すと、「違和感」の更なる正体が見えてくるような気がします。

 そうでなくても旗幟のみが問われる問題になりそうなので、結論を先に書いておこう。それは、ルワンダの虐殺と関東大震災朝鮮人虐殺はとても異なるものであり、その差異をどう理解するかが日本人に問われるということだ。「あなたの子をアウシュビッツに送らないと誰が保証してくれよう」という懸念を、もし可能なら、薄めておきたいのだ。

先に挙げたように、町山氏が「関東大震災時の朝鮮人虐殺」の件をコラムの最後に持ってきたのは、「当事者意識」を喚起する為――つまりそこで「関東大震災での虐殺」に思考が飛んで固定化されるのではなく、その先まで考える事を促す一種のギミックだったのだと考えます。そういった事を踏まえると、finalvent氏のテキストは町山氏の文章にインスパイアされ、更にその先まで思考を進めてみたもの、という見方も可能です*5。ですが、id:finalvent:20060304:1141429268のエントリーでは次のような事を書いてらっしゃる。

 2つ思った。町山さんは関東大震災朝鮮人虐殺をどの程度知っているのだろうか。それをあるシンボルとして知っているのではないか、というのは、こういう文脈でシンボルとしての流通を前提にして書かれているように思った。そして、それは、深いところで、歴史の知恵を欠く間違いなのだと私は思う。もうすこし放言すると、そういうシンボルにまとめることがいかにルワンダを理解していない馬脚になっているとも思う。

これに対して、町山氏のギミックによって思考を進めるに至った人間としては、

関東大震災時の朝鮮人虐殺」は思考を促すギミックであり、目的ではない。つまり、それ自体の意味を問う事はナンセンスな訳だから、「シンボル」であったとしても構わない。それについての思考に終始してしまうよりはマシ。「『対岸の火事』じゃないんだぞ」という事を伝えられれば良い訳だし。

……と、思ってしまうわけで。多分それが、Bigbang氏のエントリーに対して私が感じた「違和感」の理由なんでしょう*6
つまり、ギミックはギミックとしてのみ機能すればよく、その先の思考は個々人が進めるべきものじゃない? と考える私のような人間と、これではギミックが主体になってしまう事もありえるんじゃないか? と考えるBigbang氏のような人間の思考の差異、つまり「すれ違い」こそが。

追記

読み返してみると我ながら予断と仮定が多いなぁ、と言う感じなんですが、まあいいか。

*1:映画を観て、もしくは映画を契機にルワンダ虐殺について知識を身につけたはいいが、全くもって当事者意識が欠如した人とかの事と思ってください。

*2:もっと言えば、「被害者」となる可能性しか想像し得ない人々に、「加害者」となる可能性をも提示した。

*3:「肯定派」という括りはかなり恣意的ですが、ほかに適切な言葉も見つからなかったので使用しました。

*4:見落としているだけかもしれませんが

*5:あくまで「見方が可能」であって、finalvent氏が実際に町山氏の文章から「虐殺」についての考察に進んだ、という意味ではないが。

*6:finalvent氏のエントリーについては、氏が何故あくまで被害者側の論理しか提示しないのか、その真意が皆目分らないので一部文章を引用させていただくに留めます。