世間で色々と言われていますので、私も無責任な私見を垂れ流してみようかと思います。
「良心が無かった」とか「死刑になる為に事件を起こした」とか色々言われていて、その中には真相に触れたものもあるんでしょうが、私が宅間について感じた事は「幼稚さ」の一点だけでした。
「早く死刑にしてくれ」とは、宅間の口癖のように報じられていた言葉ですが、これをもって「宅間は死刑になるために事件を起こした」と断じるのは、一方では妥当ですがもう一方では的外れに思えます。何故ならば、死刑になる=死ぬ、という目的であれば単純に自殺すればいいだけの話。一人で勝手に死ねばいいのです。
それが何故、沢山の児童を道連れにしなければならなかったか? 宅間は自分で自分を直接的に殺すという「自殺」という手段をとる度胸が無かったために、見知らぬ子供達を殺戮した結果「死刑になる=他の人間が殺してくれる」という方法を選んだ、と考える事が出来はしないでしょうか?
殺戮の対象が何故子供達だったか? という問題については、宅間の持つコンプレックスが原因などではなく、ただ単純に自分よりも無力な存在を自分勝手な理由で殺戮する、という行為に彼が快感を感じたから、とは考えられないでしょうか? 何も宅間が「快楽殺人者」だったというのではなく、自分勝手な被害者意識の塊である宅間が、何の関係も落ち度も無い子供達を殺戮する事は、幼い子供が虫や小動物を惨殺して自らが巨大な存在になったと錯覚して快感を覚える、あのメカニズムと同じ物を求めた結果だ、と。
「早く死刑にしてくれ」というあのお馴染みの台詞も、「幼稚さ」の表れの様に感じられます。最後に接見した医師によれば、宅間は法廷での挑発的・無反省な態度とは裏腹に、心のどこかで「被害者・遺族に対してすまない」と思う気持ちを抱えていたように見えた、と語っています。しかしながら、その僅かばかりの反省から「早く死刑にしてくれ」と言っていたのでは、決してないでしょう。あれはむしろ、「謝る」という事を知らない子供が「叱られればいいんだろう!」と逆ギレする様に似ています。
「大きい子供・宅間守」、この畜生に傷つけられた全ての人々の心が救われる日が来る事を、願ってやみません。
◆参考サイト:http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar.html