たこわさ

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劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」感想――『愛してる』の意味を知った少女の人生の向かう先

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』主題歌「WILL」


公開二日目に観に行っていましたが、様々な感情を揺さぶられてしまった為、今まで感想を書けずにいました。

まずは、京都アニメーションを襲った恐ろしい出来事で亡くなった方々へ改めて哀悼の意を。また、傷付けられた人々と残された人々の心の傷が少しでも和らぐ事を願って。

(以下、ネタバレ含む)


さて、本作は今更説明するまでもなく、テレビシリーズ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の正当な続編だ。
戦場しか知らなかった少女ヴァイオレットが、上官にして唯一心を通わせた男性の遺した「愛してる」の意味を知る為に、「手紙の代筆」という職業を通じて様々な人々の感情の機微や人生そのものに触れていく、人情噺にして成長物語。それがテレビシリーズだった。

最初は文字通りの人形のようだったヴァイオレットが、一人の人間として感情豊かに過ごすようになり、上官であるギルベルトが遺した「愛してる」の意味を理解し始めたところで、テレビシリーズは終わりを告げた。

この劇場版は、一人前の淑女・自動手記人形として成長したヴァイオレットが、それでも忘れられぬギルベルトへの想いにどう決着をつけるのかまでが描かれている。
幸いにして、キービジュアルでも丸分かりの通り*1、ギルベルトは生存している。だから、ヴァイオレットの想いが永遠に報われないという事はないのだが……話はそううまくはいかない。

ギルベルトは、生き延びていたのに何故故郷に――家族や愛しいヴァイオレットの元に帰らなかったのか?
何故、生存している事すらも伝えなかったのか?
この彼の想いが、物語を通じる一つの大きな謎となる。

最低限のネタバレで済ませてしまうと、ギルベルトの悩みというのは正に「生き延びたから」こそ重くのしかかるものであり、それが彼が自分の人生を取り戻す事の妨げになってしまっているのだが……その真相は、劇場で確かめていただきたいと思う。

生きることと、死ぬこと。「愛してる」を伝えること

そして、「生きている」が故に苦悩するギルベルトとヴァイオレットとの対比として、本作には「死にゆく」人物が登場する。
テレビシリーズ第10話で登場した、マグノリア家からの依頼と同じく、ヴァイオレットは死にゆく依頼人の為に家族への手紙をしたためるのだが……そこにもまた、ままならぬ事情が横たわっている。
結局、ヴァイオレットはほんの少しだけ――けれども大事な依頼を果たせぬまま、遠方へと旅立ってしまう。その事で、彼女は苦悩を深くしてしまうのだが……それは同時に、「想いは、生きている間にしか伝えられない」という基本的な事を、観客へと投げかけてくる強烈なメッセージになっていた。

ヴァイオレット達の手紙も、書く前に依頼人が死んでしまえば遺せない。
逆に言えば、たとえ少しであっても想いさえ伝えてもらえれば、遺すことが出来る。
伝えようと思わなければ、伝わらない。

そんな当たり前の、けれどもそれぞれの事情や想いを抱えた人間には難しいことを、本作は幾つかの物語を通じて、観客へと突き付けてくれた。

「もし貴方に大切な人がいるのならば、その人を愛しているのならば。生きている内でなければ、その想いは伝えられない」

テレビシリーズでも一貫して描かれた「想いを伝える」という大切で神聖な行為を、これ以上ない程に心に刺さる形で観客へ投げかける。
つまり、「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」とは、そういう作品なのだ、という印象を受けた。


本作の脚本がどの時点で完成していたのかは不明だが……あまりにも、あまりにも現実の事件によってもたらされた「苦しみ」を抉る――あるいは、その後悔をキャラクター達に繰り返させないという強い意志のようなものも感じてしまい、涙を禁じ得なかった。
もちろん、事件の事が無かったとしても素晴らしい物語なのだが……。

監督以下、スタッフ・キャストがどのような想いで本作を完成へと導いたのか、その内心を思うと、複雑すぎる感情に襲われてしまう。
本来私は、物語には外界の感情を持ち込まないように心掛けている人間なのだが、流石に今回はそれを避けられなかった。

逆に言えば、蓋をしようとしていた感情をもこじ開けてしまう程の熱量が、本作に込められていた、と言えようか。

……等と固く締めるのもアレなので

以下は、少しゆる~い感想をしたためたいと思う。

私的には、ホッジンズ社長とディートフリートによる「どっちがヴァイオレットの保護者か」合戦が見物だった(笑)。
「こいつら、何のマウントを取り合っているんだw」と何回も失笑しそうになった。本人達がシリアス極まりないのがまた、観客からは哀しくもユーモラスに映ったのではないだろうか?

とあるシーンでホッジンズが見せた涙など、完璧に「お父さん」のそれだった。

対照的に、ギルベルトに関しては「少佐、やはりロリコ(ry」等と、少々失礼な感想を抱いてしまったw
彼が故郷へ帰らず、ヴァイオレットに自分の生存を伝えなかった裏には、おそらくそう言った感情(インプリンティング的な罪悪感)もあったのではないか、等とも。


物語全体があまりにもエモーショナルなので、端々に見え隠れした各キャラクターのユーモラスなまでの人間臭さにかなり救われた、ということを書き添えて、このまとまりのない感想の締めとしたい。

監督、スタッフ、キャスト、原作者、そして残念ながら最後までこの作品に関われなかった全ての方々に、改めて感謝を。

チラッと外伝のキャラクターも登場していたのも、どこか救われた思いだった。

*1:というか原作小説で既に明らかだったが。