たこわさ

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マイケル・ムーア批判?

id:TomoMachi経由で見つけたid:gryphon:20040722#p2さんで、「創」2004年8月号での岡田斗志夫唐沢俊一によるマイケル・ムーア批判*1が引用されているんですが、なんか両氏にがっかり、と言った感じ。
岡田氏の批判は「演出的に過ぎる、あれではドキュメンタリーと言えない」という考えに基づくようだけれども、果たして「何も演出されていない」映像作品等という物があるだろうか? 何の手も加えられていない映像は、ただの「記録」でしかないはずだ。もし、岡田氏が世に出ている「ドキュメンタリー」と呼ばれる良質作品になんの「演出」も加えられていない、と主張するのならば、心底氏の良識を疑ってしまう。
私如きが言うまでも無く、世の「ドキュメンタリー」を謳った映像作品の殆んどに、ある程度の編集が加えられている事は明らかだ。作品として「不要」とされた部分はカットされるし、必ずしも時系列に映像が流れるわけでもない。「不要」と判断するのが製作者である以上、そこに個人的演出が全く存在しないわけが無い。また、ナレーションやテロップも時に扇情的であったりする。そういった部分の「演出」を岡田氏はどう捕らえているのだろうか?
また、唐沢氏についても「銃規制が犯罪率低下には繋がらない、というデータがあり、ムーアの主張する事もかなりトンデモ」等のような主張をしているが、銃規制=銃犯罪の低下ではないという事をムーアは「ボウリング・フォー・コロンバイン」中で明示している
作中でムーアがカナダを訪れると、そこは犯罪都市デトロイトと接しているとは思えないほど平和であった。さぞや銃の数が少ないんだろう、とムーアは思ったのだが、それはとんでもない間違いで、むしろ銃普及率は高い水準にあった。そこから、映画の山場の一つである米国特有の「怖がりの文化」へと話が進んでいくのだが、唐沢氏はそこを観ていなかったのだろうか?
もし、唐沢氏が「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観ていたのならば、上記の件を無視して「ムーアの主張はトンデモ」等と主張する事自体が「事実の歪曲」以外の何物でもない。また、もし唐沢氏が同作品を観ずにムーア批判をしていたのならば、それこそ「トンデモ」であろう。
確かに、「ボウリング・フォー・コロンバイン」には演出的に過ぎる部分が多々あった。射殺事件犯人の事件朝の行動やら、チャールトン・ヘストンアルツハイマー病を患っていた事*2など、有耶無耶にされたのでは? と勘繰ってしまう部分もある。だが、それをもって同作品を「プロパガンダ」と批判する事は、あまりにも乱暴な行為では無いだろうか? それでは「みなさ〜ん、こいつの言ってる事は嘘ですよ〜」と大衆を扇動しようとする事と同じだ。それこそ「プロパガンダ」ではないだろうか?
メディアリテラシー」なんて言葉がにわかに流行ってきているけれど、テレビではとんと聞くことが無い。両氏(特に岡田氏)には、目の前の敵も見えていないのだろうか。

*1:華氏911」では無く主に「ボウリング・フォー・コロンバイン

*2:インタビューの時期に既に公表していたかは未確認