たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

昨日のコードギアス第8話について

予想通りというか何というか、昨日の「コードギアス 反逆のルルーシュR2」第8話「百万 の キセキ」について、ネット上の感想を散見した所、批判的な物が多いように見受けられました。
昨日の感想にも書きましたが、何かあまりにも一面的な見方ばかりだったので、追記も兼ねて。
(以下ネタバレ)
確かに、「百万人のゼロ」というのは、現実的には無理があるし非常にばかばかしく見えます。そこでもって、毎回ルルーシュの奇手奇策を楽しみにしていた方々は「あまりにもリアリティに欠ける」と感じてしまったのも無理は無いでしょう。
ただ、「百万人のゼロ」という荒唐無稽な展開の向こう側に制作者が仕込んだ、「キャラクター達の心情」というものを見落としている方があまりにも多すぎる、とも思いました。
昨日も書きましたが、あの作戦は「ルルーシュが真にスザクを理解しているからこそ」成り立ったものであり、その一連の流れを通してルルーシュとスザクの間にまだ確かに存在する「信頼」こそを描くのが目的だった、と私は思います。
スザクがいまだにルルーシュを憎みきれていない、むしろ信じたいと願っているシーンが描かれていることからも、そういったメッセージが受け取れます。
このコードギアスという作品は、登場人物それぞれが「自らの意志」で動く事に拘った作品だと思います。ギアス能力と策略で上手く人を動かしているように見えるルルーシュですが、彼の部下達はゼロに従いながらもやはりそれぞれの論理で動いていますし、生徒会の面々はルルーシュにとって最も身近な「他人」、最も親しい人であるナナリーはゼロの正体を知らないまま自分の道を歩き始め、そしてスザクという唯一無二の親友は、ルルーシュとは全く逆の立場、理念を持って行動しています。
今回の「百万人のゼロ」という一種荒唐無稽な設定も、実はそんな「自らの意志で動くこと」を突き詰めた一つの表れではないかとも思います。「誰もがゼロ」であり「日本人としての心を持つものこそが日本人」である。ルルーシュが救おうとする、独立を求める人々も「日本人」であり、スザクが救おうとするブリタニアの中で生きることを選んだ人々も「日本人」である。どちらも「自分で選んで」日本人と言うアイデンティティ=自分自身を確立した。全の中の個ではなく、個による全をルルーシュは日本人に突きつけ、結果的に救った事になるのではないでしょうか?
また、ルルーシュがゼロを記号化してしまった事で、「責任から逃れた」とかいうトンチキな解釈をしている人もどこかで見ましたが、一体どこを見ているのやら。ルルーシュは、スザクに約束させました。「ブリタニアの中で生きる日本人を救う」事を。その対価として、ゼロ=ルルーシュは、旅立つ人々を救って見せると、スザクに約束をしています。この約束がただの方便ではないと言うことを、今回のエピソードの持つ意味を知る方々には理解いただけると思います。
と、書いているうちに深夜になってしまったのでもう寝ます……。
ちなみに、今回のエピソードの解釈としてはシロクマさんの下記のテキストが非常に秀逸だと思いましたのでペタっと貼り付けさせてもらいます。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080526/p1