たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

ジャイ子の本名とか、色々

http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20060220#p1
各所で取り上げられているので今更なんですが、まだ結構知らない人がいるようなので一応紹介をば。
このお話、F先生の優しさが伝わってくる非常に心温まるエピソードなんですが、どうもそこいらを理解できないアンチドラえもんの方々もいるようで。「同じ名前の子がいじめられるようなキャラクターを作るFの底の浅さが分るな」とか、そんな阿呆な事を言ってるのをみると、非常に可哀相に思ってしまうんですけれども、はい。

もし、名前を決めて、今それが、幼稚園、小学校に行ってる女の子の誰かと同じ名前の子がいたらきっといじめられるだろう。ジャイ子とお前、同じ名前だなあ、といじめられるだろう。それは可哀そうだから、やめましょう

ドラえもんの漫画を読み続けていた方なら分ると思うんですが、ジャイ子って最初は外見だけじゃなくて中身もジャイアンそっくりなキャラクターだったんですよね。それが後年になって「外見はゴツくてガサツだけど、中身はとても繊細で乙女チックな少女」に変化したのは、他のキャラクターの変化を見ても分る通り、F先生がキャラクター達を固定化された記号ではなく、我が子同然の存在として成長させていった結果な訳です。しかもそれは、長期連載の中で大人になっていく読者達に向けた一種のメッセージも含まれていた、と個人的には考えています。
そうすると、上に引用したF先生のお言葉は、とても深い意味を持ってくるのではないかと思います。つまり、
「読者も成長すれば、ジャイ子というキャラクターの魅力に気が付いてくれるだろうが、子供というのは時に残酷で見た目だけで物事を判断しがちだし、幼稚園や小学生の時分というのは、ほんの些細な事がイジメに繋がってしまうものだ。だから、ジャイ子を愛してくれる沢山のファンにもジャイ子本人にも申し訳ないけれども、子供たちの為にジャイ子の本名を明かすことは止めましょう」
というニュアンスを持っていたのではないか、と。
ドラえもんと言う作品は、子供に「夢」を与えながらもF先生の他の子供向け作品と違い、意図的に「毒」が仕込んである作品です。
「夢」の中にちょっとだけ「毒」を混ぜる事によって、子供たちの成長を祈願する――ドラえもんという作品は、そういったF先生の読者への限りない愛が形となった作品ではないかと思います。