たこわさ

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Fate/stay night [Unlimited Blade Works] #21「answer」感想

原作プレイ済み。映像化作品全て視聴済み。
(以下ネタバレ)

あらすじ

遂に立ち上がった士郎はアーチャーの技量を驚くべき速さで吸収し、互角の剣戟を繰り広げる。数歩下がって距離をとり、遠距離戦に持ち込めばあっさりと勝負は付くはずだが、幾度も倒れながらも絶対に立ち上がる士郎を前に、ここで後ろに下がれば決定的に何かに敗北するという想いを拭えず、アーチャーはその場に踏みとどまる事を余儀なくされる。
やがて士郎の魔力が尽き、最早彼の武器は折れかけの剣一本のみとなる。立ち上がれぬ士郎に、止めとばかりに多数の剣を投擲するアーチャーだったが、士郎は最後の力を振り絞りアーチャーへと特攻する。士郎が懐に飛び込んできた所に剣を振り下ろせば終わる、最早アーチャーの勝利は揺るぎない。
しかし、それでも立ち向かう士郎の「『誰もが幸せであって欲しい』という願いは美しいもののはずだ。俺が最後まで偽物であっても、この願いは間違いなんかじゃない」という叫びは、アーチャーにいつの日かの縁側での記憶を思い出させ、そして――。

感想

「たとえ衛宮士郎の願いが借り物の偽物であっても、自分よりも他人を優先する生き方が偽善であっても、『誰もが幸せであって欲しい』という願いは間違いなんかじゃない」

アーチャーの固有結界が次第にその姿を変えていく演出、士郎の想いと願いがアーチャーの怒りと絶望を次第に圧倒していく精神的な戦いとシンクロしたそれは、アニメならでは表現ですね。歯車がその動きを止め、昏く重たい雲は白いそれに染められていき、不毛の荒野にまばゆい太陽の光が差す……。アーチャーが忘れてしまったあの縁側での約束、衛宮士郎「正義の味方」を目指したそのきっかけ、彼の人生を決定付けた瞬間、それをアーチャーが思い出したシーンには思わず目頭が熱くなりました。アーチャーの記憶の中で、誰もいなかった縁側に、切嗣が、そして幼い士郎が順々に表れていく、その演出も秀逸。空っぽの縁側については、前回からチラチラ出てきていましたね。

アーチャーはかつての自分を取り戻し敗北を認め、戦いは士郎の勝利に終わりました。恐らく、士郎がアーチャー=英霊エミヤに追いつくことはあっても同じ存在――人の世に絶望し願いを忘れてしまった男になる事はありません。「エミヤなどという英雄はここにはいられない」というアーチャーの言葉は多分、そういった意味。
そして凜がもう少し酷い人間であったなら、かつての自分を取り戻す事などなかった、という言葉の意味は、プロローグでの「では凛と――ああ、この響きは実に君に似合っている」という台詞に全て込められているように感じます。*1衛宮士郎にとって遠坂凜という人物は特別な存在です。アーチャーの辿った人生では、今の士郎と凜のそれとは違った関係だったのでしょうが、それでもきっと彼の人生にとって欠かせない人物だったはず。凜と共に過ごす事で、彼はすり減り失ってしまった人間性を取り戻していったのかも。

あの言葉は、転じて士郎の傍に凜がいれば自分は生まれない、という暗示でもあるのでしょう。実際、今の士郎は凛のお蔭で自分の生き方と向き合う事が出来た訳で、彼女が士郎の傍らに居なければ英霊エミヤに勝つことは出来なかったでしょうから。

さて、勝敗は決しアーチャーは「答え」を得た。後は去るのみ――と思った所にギルガメッシュが空気を読まずに登場! 圧倒的かつ絶望的な攻撃力でアーチャーを消し飛ばしますが……散々アーチャーと士郎を罵倒し見下しておいて、結構全力で殺しにかかっている辺りに、アーチャーの士郎に対する「お前が倒せ」発言の謎の答えが隠されているようですが、果たして。

ラストの「増えるワカメ」には恐らく全世界中のFateファンがガッツポーズを決めた事でしょう! 「ワカメざまぁwwwwww」と。いやぁ、今回のアニメでは慎二を徹底的にムカつくように描いてくれたおかげでカタルシス半端ないですわーw

*1:実際どこかの菌糸類によれば、あの言葉にはアーチャーの狂おしいまでの想いがこもっているのだとかなんとか。