たこわさ

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「君の名は。」は語り口に重きを置いた「キラキラ」した作品だった

観賞済み。基本的には、世間様の評判通り実に良い映画だった。

(以下、ネタバレ含む感想)
本作を素晴らしい映画たらしめているのは、作画であり演出であり音響であり声優の演技であり、つまりは映画としての「語り口」の部分であると思う。序盤の展開こそ、ややぎこちなさを感じさせるものの、中盤以降のテンポの良さと盛り上げ方は、自然と観る者の心を躍らせ、あるいはハラハラさせる、お手本にしたいようなクオリティだった。

しかしその反面で、本作はストーリーなり背景設定なりのディテールについては、お世辞にも精緻とは言えず、微に入り細を穿つような「語り口」部分とは対照的だった。
例えば、この物語の肝である瀧と三葉との「時間のズレ」は、二人が真っ先に気付く違和感の部分であるはずなのに、不自然なまでに気付かれない。「入れ替わっていた間の記憶が曖昧」という設定があるので、入れ替わりが終わった後に瀧達が気付かない(意識しない)事は不自然ではないのだが、入れ替わり中にはバイトであるとか日常生活であるとか、年月日を意識せざるを得ない要素が沢山あるはず。なのに、二人の「交換日記」でその事が話題に挙がる事はない。この点はあまりにも不自然だ。*1
恐らくは中盤に「実は三年間のズレがあるんだ!」という事を強調したいが為に、徹底してその部分を描かなかったのだろう。だが、「彗星」に対する二人の認識の齟齬については繰り返し描いて伏線としているのだから、過剰に隠す意味は無かったように感じる。もっとあからさまに、二人のどちらかが入れ替わり中にカレンダーを見て何かに気付くが、視聴者にはそれが何なのか隠され、瀧達にも入れ替わり終了後に「あれ、何か忘れているような?」といったような仕草をさせれば、この不自然さは感じなかったのに、と非常に残念に思った。

終盤、瀧達が町の人々を救う為にとった手段が「テロ」そのものだった点も実に荒っぽく感じた。もちろん、無力な学生の身である彼らに取れる手段が限られていたのは事実だが、せっかく本作は人間的なドロドロであるとかそういったものを極力「漂白」して「キラキラ」した世界を描いてくれていたのに、何故あの部分だけ実に泥臭い手段を採用してしまったのか。「大義の為なら犯罪も問題ない」という、まるで一部のネットユーザーが振りかざす稚拙な「正義」のようなうすら寒さを感じてしまった。
住民達の避難を成功させた最後の一押しが、そういった犯罪的な手段ではなく、(劇中では直接描かれなかったが)三葉と父の対話によるものだった、という点においてその不満がある程度解消されたのも事実だが……出来ればもう少し、「キラキラ」した世界観にだけ酔わせてくれるクライマックスであってほしかった。


上記の通り、本作は人間的なドロドロを極力「漂白」し「キラキラ」とした世界を描く事に注力している。観る人によっては、そういった部分を不満に思う向きもあるかもしれないが、私的にはその「キラキラ」があってこそ、作画やら演出やらの「語り口」部分に注視出来、結果として物語に没入できる作りになっていると感じた。過剰なエロスであるとか、入れ替わりに伴い発生するであろう目を覆いたくなるようなトラブルは、むしろ不要であり、描かなくて正解だった、と。人間的ドロドロを描いてしまうと、どうしてもそれは人の心にしこりを残す。観賞中であっても哲学的な何とやらについて考えを巡らしてしまっては、せっかくの絶妙の「語り口」が台無しになるだろう。

それだけに、物語の構造や設定についても、もう少し微に入り細を穿ったものにしてもらいたかったと強く思う。せめて、不自然さを和らげる些細な台詞や仕草を入れたり、主人公達が物事の解決に荒っぽい方法を採用しても最低限の泥臭さだけに留め「キラキラ」した世界を汚さない配慮を、と。


とは言え、冒頭に書いた通り本作が素晴らしい映画であるという評価は揺るぎないと思う。100点満点中90点は軽く超えるだろう。私的には、二人が「はじめの一歩」からやり直すのではなく、もう少し具体的な記憶を取り戻してくれた方が好みではあるのだが……それは流石に多くを求め過ぎか。

*1:もちろん、瀧が三葉との時間のズレを認識した瞬間に日記が全消去されてしまうようなファンタジーなので、「時間の強制力」が二人の意識を時間のズレからそらし続けていた、と考える事も出来るが。