たこわさ

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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ #24「未来の報酬」感想

今回の満足度:5点(5点満点中)
(以下ネタバレ)

あらすじ

エドモントン郊外へと到着した鉄華団だったが、市街地の手前ではギャラルホルンの防衛部隊が待ち構えており、激しい戦闘となってしまう。戦力で勝るギャラルホルンの部隊を相手に果敢に戦う鉄華団だったが彼我の戦力差は大きく、次第に重傷者が増え武器弾薬も消耗していく一方だった。
アーヴラウの代表選の期限も迫る中、オルガは大規模な囮を使った最後の突入作戦の実行を決断する。囮になった部隊に今まで以上の犠牲が出る事は明白。しかし、年少組を含めた団員達の決意は固く――。

感想

鉄華団と言う一つの「家族」が生き延びるために命を賭す少年達の姿は、ともすれば狂気と紙一重のものだが、その一方で「後に遺すもの」が明確化されており、ある種理性的でもある。少なくとも「ヒューマン・デブリ」のような使い捨ての道具ではなく、全体を活かす為の個の死という、ある種の自己犠牲の精神の表れでもある。しかし、そんなものは所詮「殺し殺される為の方便」でしかない。メリビットの言う通り、そんなものは「間違っている」。だが、自分の命の使い方をも選べなかった少年達に必要なのは「正しさ」ではなく「意味」なのだろう。「自分の命の価値を自分で決める」事で、彼らは自分達が「人間」であると感じられるのかもしれない。

三日月はそんな鉄華団の今の状態を具現化したのような存在になった。狂気ともとれる凶暴性を発揮したかと思えば、仲間達を想う姿勢も見せるし、オルガの尻を叩く役割も引き受ける。シリーズ開始当初の彼と一見すると同一人物のように思えるが、実際には微妙に異なる。以前の彼ならば「目的の為に殺す」事はあっても「殺す為に大義名分を立てる」等と言う事は無かっただろう。殺しに来るから殺す、邪魔するから殺す、そういったシンプルな判断基準を持っていた三日月が、その行動の本質こそ変わらないものの、戦いに「意味」を求めるようになったその変化の裏には、やはり死んだフミタンの「責任」という言葉があるのだと思われる。
「責任」を持ちえるのは人間だけだ。殺人マシーンには「役割」や「機能」はあっても「責任」はない。そして、物事に「意味」を求めるのも人間だけだ。客観的に見れば、囮となった団員達の死はただの「作戦遂行上の被害」でしかない。しかし、三日月とオルガはそこに「意味」を与えた。「責任」を与えた。彼らに「人間として生きる事の価値」を与えた。
雪之丞がメリビットの言葉の正しさを認めつつも団員達に何も言わずに見送るのは、きっと人として生きる事を許されなかった少年達が、自分自身の意志で「人間」になろうとしているからなのだろう。

しかしその代償は大きく……

「意味」を得て「人間」となり、そして死んでいく。後に残る者達に命を託して死んでいく。年少組も含めて、恐らく多数の犠牲が出てしまった。そして彼らの良き姉貴分であったラフタ達も復讐鬼と化したアインの手によって……。
終盤、ユージン達が助けに来てくれた展開には思わず手に汗握ってしまったが、次週、多くの団員やラフタ達の死が確定された時には、恐らくそれ以上の喪失感を覚える事になるだろう。
鉄華団の危機を救ってくれたマクギリスの真意もまだ計り知れない。ガエリオを前に仮面を取ったという事は*1、彼もある種の覚悟を決めたという事なのだろうが……。
せめてもの救いは、アインが見事な暴走ラスボスになってくれた事だろうか。身勝手な復讐心に囚われ人の心さえ捨ててしまった彼ならば、三日月に徹底的に破壊されても恐らく心が痛まないどころかむしろスカッとするであろう(酷

*1:ガエリオにはまだ見えていないが……。