たこわさ

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機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ #23「最後の嘘」感想

今回の満足度:5点(5点満点中)
(以下ネタバレ)

あらすじ

失態を重ねたカルタだったが、マクギリスの口添えで名誉挽回の機会が与えられる事になった。言葉巧みにカルタを奮い立たせるマクギリスだったが、全ては自らの目的の為、彼女の利用しているだけだった。
一方その頃、メリビットは「ビスケットの敵討ち」という大義名分を掲げ戦いの道を突き進もうとする鉄華団の少年達の将来を案じていた。オルガ達に苦言を呈するメリビットだったが、オルガだけでなく年少組の団員達もその決意は固く揺らがない。そんな中、カルタが僅かな手勢を連れて鉄華団に「決闘」を申し込んでくるが――。

感想

親しい人間だからこそ自らの理想を叶える人柱に相応しいとでも言うかのようなマクギリスの振る舞いが実に恐ろしい。カルタを捨石にし、そしてこれからガエリオをも何らかの道具として扱おうとしている彼の心中では、一体どのような絵が描かれているのか……? 父親の失脚、腐敗したギャラルホルンの浄化、そしてその先に何を見据えているのか、まだその全貌が見えない印象。
鉄華団の方は……修羅道を邁進つつあるように見受けられる。メリビットの危惧は実に的を射ているが、反面、ライド達の「ここでやり返さなかったら」という言い分も理解できる。三日月のダーティー過ぎる戦いぶりを見守る少年達の目にあるのは狂気ではなく、今まで「生き汚さ」を一手に引き受けてくれていた三日月達に寄り添おうという決意の表れだった。ビスケットを失った事で(今までの自分達のままでは)帰れないという事を思い知った彼らが、オルガと共に「前に進む」事を決めた、その想いの表れだ。
しかしその決意は、やはり大きな危うさを伴うもので、「これ以上の犠牲を出さない」という観点が欠落している。急先鋒たる三日月は意識して過激な行動を取っているようだが……彼のその行動がただ愚直なものではなく犠牲を最小限に抑える為のものであると信じたい所。
メリビットは安全弁としては力不足。クーデリアもアトラもむしろ三日月と志を共にしようとしているようにも見え受けられる*1。往年の富野作品のような「全滅エンド」は避けてもらいたいが……。
カルタの口からマクギリスの名が出たのを三日月が聞き届け、更にはオルガとクーデリアも彼の策略が裏で動いている事を察し始めている。この辺りが鉄華団修羅道以外の道を開くカギとなってくれれば、と思わずにいられない。

無残な死を遂げたカルタには同情心が湧くが、そもそも彼女が掲げる「高潔さ」が意識だけ高い中身の伴わぬものだった事もあり、自業自得の面も大きいように思える。正々堂々と決闘を申し込んだ、と彼女は思い込んでいるが、そもそもモビルスーツモビルワーカーを蹂躙してビスケットを殺害し鉄華団の恨みを買ったのは彼女自身であるし、戦力的にも立場的にも不利な立場にある彼女が決闘を申し込むというのは、即ち鉄華団の慈悲に縋るという事でしかない。マクギリスによる甘言があったとはいえ、最後まで鉄華団と自らの力関係を見誤った事が自らの悲劇に繋がったと言える。
そう言った意味では、アインもカルタと同じような存在であると言える。クランクの無念を晴らすと息巻くアインだが、その実クランクの信念――鉄華団の少年達の身を案じた故の自己犠牲――を全く理解しておらず、自分勝手な解釈で恩人の遺志をも汚しているだけの結果となっている。*2実体の伴わない、もしくは実態に即さない信念というものの厄介さは、むしろテロリズムのそれに近い。マクギリスがカルタ達に一定の敬意を示しつつも捨て駒として使う理由は、恐らくその辺りにあるのだろう。
ガエリオはカルタやアインと異なり「話せる男」であるように感じるが、それでも火星の人々に対する差別的な価値観を絶対視している部分が見受けられる。マクギリスが彼をも捨て駒として使おうとしているのには、その辺りの理由が深く関わっているのだろう。

*1:この点はミスリードかもしれないが。

*2:この点については、3月発売のニュータイプ誌でシリーズ構成の岡田氏がコメントされている。