たこわさ

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グリザイアの楽園 10話「ブランエールの種VI」感想

前シリーズ視聴済み。原作未プレイ。
(以下ネタバレ)

あらすじ

オスロと決着をつけるべく、雄二はオスロの本拠である船「タルタロス」へと潜入する。手首に付けられた時限爆弾のタイムリミットが近づく中、容赦なくオスロの部下達を屠り、やがて甲板に辿り着いた雄二を待っていたのは雄二そっくりの顔をした男――雄二の遺伝子を基に作られたクローン、テュポーンだった。
テュポーンは雄二にブースタードラッグを投げてよこし、それを投与し自分と全力で戦え、と言い放つ。だが雄二はそれを突っぱね、そのままの状態でテュポーンに立ち向かう。しかし、戦闘用に調整され生育されたテュポーンと消耗した雄二とでは勝負にならず、テュポーンは雄二を圧倒、そのまま雄二を組み伏すと強引にブースタードラッグを打ち込み、彼の本気を引き出す。
ブースタードラッグを投与された雄二は、今度は逆にテュポーンを圧倒し、彼を打ち負かす。倒れ伏したテュポーンは雄二の油断を誘う為に何かを懇願するような表情を見せるが――。

感想

一姫の目的は弟の為に「楽園」を作る事でした。もちろん、雄二ハーレムを作り上げるという事ではなく(笑)、自分が助けた誰かが今度はまた別の誰かを助ける、撒かれた種がやがて実を付け、そしてまた種を撒いていくように続いていく、そんな優しい世界を弟に与えたかったんですね……その為に世界を動かしてしまったのだから一姫さんは本当に半端ないブラコンですわ。まあ、もちろん自分が居なくなったことで滅茶苦茶な人生を送る事になった弟へのせめてもの罪滅ぼしという意味もあるし、何より最後の選択自体は雄二本人に任せるという、きちんと弟の事を一個の人格として尊重したものなんですが。
一姫の「雄二の過去を知ってもまだ以前のように接することが出来る?」という問いに対する天音の答えが痺れますね。一姫にとって何より幸運だったのは、天音のように雄二の事を心底大切に想ってくれる「親友」を得ていた事、そして彼女と想いを同じにする仲間がいたこと、なんでしょうね。いくら万能のタナトスさんでも、雄二を愛してくれる人々が居なければきっと「楽園」なんて作れなかったでしょうし。

雄二は、死に瀕した段になって、ようやく麻子からきちんと彼女の志を受け継ぐことが出来たようです。「自分の為に」戦う、生きる。自分の大切な人達の為に、自分を大切に想ってくれる人たちの為に。今まで彼が抱いていた「麻子の為に生きる」という想いには、つまるところ自分と言うものが存在しなかった訳で。ただ、こればっかりは麻子も教える事は出来なかったのでしょうね、それは他人から教わるものではなく自分の中からしか生まれない感情だから。……この点、麻子と一姫は雄二に同じものを期待していた、と言えるかと思います。

しかし、雄二は腹に日本刀が刺さって、しかもそれを根元まで自分で押し込んでいってよく生きてましたね……。リハビリに物凄い時間がかかった、とは言っていましたが、間違いなく内臓は大きく損傷していたでしょうし、体力や気力でどうにかなる話でもないので、よっぽど運が良かったのでしょう。
あと、瀕死の体を引きずりながら、麻子が示してくれた「生きる道」を必死に進む中で雄二が思い浮かべた美浜学園の少女達の姿ですが……ああやっぱり脚本的に天音が本妻ポジションだよな、などと益体の無い事を思ってしまいました(笑)。一番初めに思い浮かべたのは由美子ではありましたが、一人だけ真正面&どセンターで描かれたのは、やっぱりそういう意味なのかな、と。一応、物語は誰ともくっつくことなく終わりましたが、「果実」のあの流れで雄二が天音をなんとも思って無かったら結構台無しなので、それとなく差別化した、というところでしょうかね。しかしそのせいでラストの由美子が、雄二の「皆の為」という答えも相まってピエロ極まりないですね。気の毒。私は天音派だから問題ないんですが。

二年経ってもまだ学生続けるのか、とかタナトスさんの義手はただのファッションだったのかとか、ある意味衝撃的なラストではありましたが、基本的にハッピーエンドに終わって良かった! ホント、「果実」の時は何も期待しないで観始めて、途中から物凄く面白く感じ始め、最後にはかなりの満足感を得ましたので、実にうれしい誤算でした。