たこわさ

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蒼穹のファフナー EXODUS 第10話「希望の地へ」感想

シリーズ全話視聴済み。
(以下ネタバレ)

あらすじ

その超常的な性能でフェストゥムの群れを一蹴したマークザインとマークニヒト。そのままアザゼル型の撃破に向かうが、あまりに強大なアザゼル型の力を前に、二機の性能をもってしても苦戦してしまう。激闘の末、コアには逃げられてしまったものの、アザゼル型を撃破する事に成功する。ナレイン将軍はその僅かな間隙を縫って、エスペラント達が指し示す「新天地」へと旅立つ準備を進める。
一方、一騎達は真矢ら竜宮島の仲間達と合流していた。一騎を守りたい、これ以上戦わせたくないという願いから戦い続けてきた真矢は、当の一騎に救われてしまった事に複雑な想いを隠せず、理不尽とは思いつつも総士を責めてしまうが――。


感想

冒頭での総士の「五秒待て!」というセリフに思わず吹いてしまった方は多いのではないかと思いますが、それはさておき。

前回、鬼神の如き性能を発揮したマークザインとマークニヒトですが、その二機の連携をもってしても攻めあぐねてしまうとは、アザゼル型の実力は計り知れません。しかも、すんでのところで逃げたアザゼル型のコアを融合だか捕食する謎のフェストゥムまで現れてしまって、今後も絶望的な戦いを強いられることは必定か。

一騎を守れなかった悔しさを、理不尽と知りつつも総士にぶつけてしまう真矢、彼女の思いをよく理解し真摯に受け止める総士、そしてそんな二人に(無自覚に?)甘えている一騎、という構図が何とも切ない。「いつも泣かれるのは僕で、礼を言われるのはお前」という総士の言葉には、いつも以上に一騎への抗議の色があったような。しかし、一騎は総士の本心には気付かないんですよね……。総士、どこまでも可哀想な奴。まあ、この奇妙な三角関係があるからこそ、彼らは彼らでいられるのかもしれませんが。劇場版だと一騎が「あちら側」に引っ張られ過ぎてて人間味が薄かったですからね。

それにしても今回改めて思ったのは、一騎がいかに総士と真矢に依存しているか、という事。総士は一騎に対し常に真摯で正直な態度で接していますが、こと真矢関連の事となると自分の気持ちには蓋をして一騎と真矢の関係が円滑になるようにしています。真矢については、もう一騎は弟か息子のように甘えてるんですよね、彼女に。真矢が悲しむ事を知っていながらもマークザインに乗り込む事を決めた一騎ですが、その思いの根底には「遠見ならきっと理解してくれる」という彼女に対する甘えに近い信頼があるようで。*1総士に言われなければ真矢に謝らなかったでしょうが、多分、島に帰ってほしいという気持ちは伝えていたと思われ。
だから、一騎が真矢に本質的に依存している事で、ある意味真矢の想いは報われていると言えるのですが、同時に別の意味では決して報われない、という事になり。あれなんだか誰も幸せになってなくね? とか思ってしまったり。



広登と暉のある種対立的な考え方の違いも印象的。暉の戦う理由は姉や祖母、真矢をはじめとする島の人々を守る事にあり、ややミクロな視点でしか物事を見られない向きがありますが、広登はもっと大きな視点で状況を観てるんですよね。でも、広登の視点は大きすぎて情の深い彼の性格とは裏腹にどこか割り切った部分があるので、もっと身近で感情的な部分を担うのが暉の役割なのかな、と。というか、広登があんまり有能すぎると暉の立つ瀬がないので、いい意味での凸凹コンビ振りを維持してほしいものです。


ちょっと怖いのはミツヒロと弓子。ミツヒロはその善人さと使命感の強さから、ザルヴァートルモデルに対する信奉に近い想いを抱いているようですが、「試す事は出来るはず」と思っている所を見ると、自分の父親がどうして死んだのか、その真実は知らない模様。後々悲劇につながらなければいいのですが。弓子については、どうやら元の人格は失われていないようですが、劇場版で普通に扱っていた拳銃を扱えないどころか触れる事さえ困難な状態になっている所をみるに、なんですかね、根本的な所で「戦い」と関われない体になってしまった、という事なんでしょうか? 彼女にとって娘を守る為の象徴的な「お守り」である夫の形見を手放してしまったその理由は、真矢が予感しているように何か悲劇的な裏が隠されているようで、なんとも不安が増してきます。

ROBOT魂 [SIDE FFN] ファフナー・マークザイン

ROBOT魂 [SIDE FFN] ファフナー・マークザイン

*1:TVシリーズ第一期で真矢にだけ自分のありのままの弱さを見せた事からもそれが伺える。