たこわさ

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アルドノア・ゼロ EP21「夢幻の彼方 -The Fortune’s Fool-」感想

1クール目視聴み。
(以下ネタバレ)

あらすじ

アセイラム姫が既に目覚めている事を察したレムリナ姫。アセイラム姫の居場所を突き止めたレムリナは、姉の姿を借りたまま彼女に銃を向ける。
――その後、何があったのか、レムリナ姫の姿は再び月面基地にあった。彼女のもとを訪れたスレインに、姉が目覚めた事を伏せていた理由を問いただすレムリナ。詭弁を弄するスレインに対し、レムリナは更に問う、「この泥沼の戦いを、果たして姉・アセイラム姫が望むのか?」と。
その問いに対するスレインの答えは冷酷なものだった。地球と火星に分かれた時から、戦いが起こる事は必然だった。そしてこの戦争は国家間の政争の一手段ではなく、どちらかが全滅するまで続くのだ、と。例えアセイラム姫が望むまいと、地球を占領しアセイラム姫を戴く「争いのない世界」を築くのだ、と。
スレインの答えを聞いた「彼女」は、彼が最早自分の知っているスレインではない事を痛感し、静かに立ち上がる――不自由なはずの両足で。スレインが戸惑う中、レムリナの姿は光の向こうに消え、代わりに姿を現したのは――。


一方、地上では地球軍上層部により無謀な作戦が行われようとしていた。今までと違い三機による連携攻撃を駆使してきた火星騎士相手に、物量作戦で挑もうというのだ。遊撃部隊という名の決死隊を命ぜられたデューカリオン隊だったが、マグバレッジ艦長、そして伊奈帆は生き残るために事前策を練る。
しかし、火星騎士側もただの力押しではなく、より連携を強めてきた。透明化能力を持つカタクラフトと、強力な電撃を持つカタクラフトが合体しお互いの能力を最大限に活かしながら攻撃してきたのだ。更に、分身するカタフラクトは事前に予想していたようにどこかに本体が隠れているのではなく、全てがコピーされた本体という破格の能力を有していた。
苦戦する鞠戸達だったが、あらかじめ上空に待機し敵の戦術パターンを分析させていた伊奈帆からの情報もとに、敵機の動きを予測し、反撃に出るのだった――。


感想

レムリナが姉を抹殺するのではなく、姉と共にスレインの暴走を止めようとした事が印象的。彼女の立場ならば姉を見付けた時点で抹殺していてもおかしくないですが、姉の言葉に諭されたのか、それとも自分を裏切ったスレインと恨みつつも心の底では親愛の情を持っていた姉とを天秤にかけた結果、後者を選んだのか。はたまた、彼女はいまだにスレインの事を愛していて、修羅の道を進もうとしている彼を姉に止めてほしかったのか……。いずれにしても、遂にスレインが決定的にレムリナを裏切ってしまったのは事実。更には、自分の暴走を止めようとしてくれたアセイラム姫までも捕えてしまって……。私にはスレインの野望がただの破滅願望にしか見えないのですが、ここまで来ると彼に裏の意図――例えば自らが生贄の羊となって、この戦争の全ての憎しみを受け止めようという考え――があるようには全く見えませんので、あれ? やっぱりスレイン死ねなの? と思ったり。

一方、地上で奮戦する伊奈帆は仲間達の力を頼りつつも、最後は義眼の力をフル活用して自ら戦いに決着を付けました。そしてその代償として義眼の副作用にもだえ苦しむ事になったが、その姿を決して他人には見せないという孤高の戦士振り。スレインとは違うベクトルで孤独になろうとしているように見受けられます。
そもそも、伊奈帆がマズゥールカ伯爵にアセイラム姫の事を託したのは、自分に出来るのは最早戦う事だけで、でもそれだけでは戦いは終わらせない事を知っていて、だからこそ穏健派でアセイラム姫と同じ理念――地球との戦いを望まない――を持つ彼に姫を託す事で、いずれ和平を勝ち取ってもらいたい、という願望の表れであるような節もあり。もしかすると伊奈帆は生きてアセイラム姫に再会するという願いを捨てて、彼女の敵となる可能性のある者達を排除する事に専念しているのかも。偽者とはいえアセイラム姫の名のもとに地球人が虐殺され、最早地球人に彼女の言葉は届かないであろう現実を前にしては、自分とアセイラム姫が寄り添って生きる世界は実現できるはずもない、という諦観というか。

さて、唯一無二の存在であったアセイラム姫を決定的に裏切り、最早誰の為なのかも分からない覇道を進むスレインの元に火星からの使者が一人。彼こそは亡きクルーテオ伯爵の子息・クランカイン伯爵。父の果てた地球を眺めつつも、憎しみの感情が見受けられませんが、彼は一体どんな感情を地球人に対して持っているのか? そしてスレインに会うのは何のためなのか? 彼の役割如何によってはまた話が大きく動きそうです。

ところで、クランカイン伯爵の育ちや性格は非常に良さそうに見えますね。スレインに辛く当たっていたクルーテオのイメージとは異なりますが、息子の人となりを見る限り、やはりクルーテオ伯爵は根は善人な忠義の人だったんだろうな、と察せられます。なんだか「手のひら伯爵」とか酷い呼ばれ方しているけれども、1クール目をきちんと見ていれば彼がスレインに辛く当たっていたのは「嫌いな地球人だから」というよりもむしろ「姫に取り入ろうとする下賤の輩」だと思っていたから、というのがよく分かるはずなんですが……。つまりは、「姫への忠義>地球人への蔑視」という図式が彼の中にあった。だからこそ、彼はスレインの忠義の厚さと自分自身の目が曇っていた事を思い知り、地球人への蔑視を超えてアセイラム姫に忠誠を誓う高潔な人物としてスレインを遇した。
そういう、キャラクターのその場の言動だけではなく、トータルでの立ち振る舞いで人となりを描く、というのは物語として当たり前の手法なんですが、それを読み取れないっていうのは、きっと巨視的に物語を見る事が出来ない人々なのだろうな、と。ザーツバルムが個人的な感傷の向こう側に野望をもって行動していたのに対し、クルーテオは一貫してアセイラム姫とヴァースへの忠誠心を行動原理としていた。ザーツバルムが人間臭い人物だとすれば、クルーテオは本物の貴族と呼べるような人物だったのでしょう。

余談

以下、巨視的に物語を見られない、という話で思い出したお話。
アニメ「氷菓」の主人公・奉太郎が、「氷菓」という言葉に込められた真実を看破し、それを仕組んだ人間の行為を「くだらない」と吐き捨てるシーンがあって、それに対して不快感を表明する記事を見た事があるんですよ。「人が精いっぱいの抵抗として行った事を『下らない』と吐き捨てるのは何事か」と。
でもあれって「自分自身に全く責任が無いのに詰め腹を切らされた人物の唯一の抵抗が、こんなダジャレだけだった」という事実に対しての義憤から出た言葉なんですよね。彼に出来る精いっぱいの抵抗がダジャレなどという「くだらない」行為だった、という(彼を追い込んだ周囲の人間への)怒りを込めた言葉な訳で。
物語をちゃんと読み解いていれば、奉太郎という人間が表面上は冷たく見えるけれども、その実、情が深い人間だ、という事は理解できるはずなんですが。
「木を見て森を見ず」とはよく言ったものです。もちろん、巨視的過ぎて細かい描写を見逃がし過ぎていては、本末転倒なのですが。
以上、当時違和感を覚えたもののコメントを付ける事もブックマークする事もしなかったせいで元記事が分からなくなり、意見を表明する場を失って悶々とした思いを抱えていた人間からの余談でした。