たこわさ

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「聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY」を観てきました


W杯の残念な結果にがっかりしたので、よりがっかりする事で気持ちを上書きする為に観てきました!(コラ

端的な感想を申しますと、「少なくとも聖闘士星矢Ωよりは面白かった」といったところ。

(以下、ネタバレ感想)






さて、上記「聖闘士星矢Ωより面白かった」というのは、同作品をご存知の方にはお分かりの通り、もちろん褒め言葉ではありません。同作品のような産業廃棄物レベルのクオリティではないものの、悪い意味でのB級映画の域を出ない作品だった、というのが正直な所。

原作愛の欠如

本作品をご覧になるような方は、多分私と同じ原作漫画やアニメのファンだった世代――オッサン・オバハンと化したかつての少年少女が殆どだと思われます。製作総指揮に原作者の車田正美先生がクレジットされている事から、原作の追体験を求めて劇場に足を運ぶ方も多い事でしょう。
もちろん、今回は3DCGという車田作品のイメージとはかなりかけ離れた手法を取っていますし、単体の映画だから尺は短いだろうし、時代の流れもありますから現代的にアレンジされているだろうな、というある種の大らかさを持って鑑賞するかと思うのですが――本作品はアレンジどころか最早原作レイプの段階に達しておりました

特に顕著なのはキャラクターの改変。現代風にアレンジするのはいいのですが、最早原形をとどめていないキャラクター達には、貴腐人の方々もがっかりなされたのではないでしょうか?

必要とは思えないキャラクターの改変

まず、青銅聖闘士の面々。主人公の星矢については「三枚目の熱血漢」という点が保持されていたので、それほど違和感がなかったのですが、紫龍は「実直で静かに燃える義の男」ではなく「生真面目が過ぎて空気が読めない三枚目」に、瞬は「内に秘めた強さを持ちながらも情を優先する性格」から「ただ美少年なだけの臆病者」に変わってしまっていましたし、氷河なんて「クールでニヒルな陰のある二枚目」ではなく「斜に構えてる以外は特に個性を感じない男」に……。
一番許せなかったのは、青銅聖闘士最強にして星矢達のおっかないけど頼りになる兄貴である一輝が、ただの集団行動が出来ない自信家だけど実力の伴わないビッグマウス君に成り下がっていた事……。一応、矢座を瞬殺するという見せ場はあったものの、本作では白銀聖闘士という存在は全く触れられないので、同シーンも「敵の雑魚を瞬殺した」位にしかなっておらず、その後満を持して再登場したかと思えば特に見せ場もなくシュラに惨敗する始末……。何でこうなった!?


女神アテナこと沙織さんも微妙。自分がアテナだという事を知らずに育った、という設定はアニメ版で既にそのように改変されていたのでまだいいとしても、お嬢様として凛とした女性に育てられた訳でもなく、原作漫画のようにツンデレでもなく、普通の等身大の少女でしかない。何かアテナとしての威厳というか、そういったものが最後まで感じられない。一応芯の強さは描かれるものの、基本不思議な力があるだけのただの少女。わざわざ原作のイメージをゼロにしてまで改変するほど魅力的なキャラクターなのかね? と激しく疑問。


黄金聖闘士の面々は、基本的な性格が変わっていなくて一安心――かと思いきや、ミロが何故かSっ気のある女性に変わっていたり、シュラはムウやアルデバラン、シャカが普通に気付いていた教皇が怪しいという事に全く気がつかないただの間抜けになっているし、アフロディーテなんて出てきたと思ったら次の瞬間死んでて何の為に出てきたの? という感じ。
で、シュラが間抜けになっている原因でもあるのですが、サガがただ力に目がくらんだだけの悪党になってしまっている。原作だと善神の化身が如き人格と悪魔の化身とも呼べる人格が同居していた結果、「最も神に近い男」シャカの眼をもってしてもその正体を見抜けなかった訳ですが、本作品では徹頭徹尾悪人オーラを出しまくり。本物の教皇もあんなんだっとは考えにくく、16年間も黄金聖闘士の皆さんが何も気付かず行動を起こさなかったって、ちょっと間抜けが過ぎるんじゃ?
カミュなんて真意も分からないまま弟子と相打ちですよ? 師匠の威厳も何もあったもんじゃない。
黄金聖闘士の中でも一番原作に近い性格だったのがデスマスクなんですが、謎のミュージカル演出が数分続くなど他の黄金聖闘士よりも明らかに尺が割り振られていて、「いやそんな面白くも何ともないオリジナル演出入れるくらいなら他の黄金聖闘士の人格描写に尺を割けよ!」と最早怒り心頭状態。


以上のようにキャラクターの描き方が酷かった訳ですが、脚本の方も大分まずい事になっています。

矛盾や疑問点満載の脚本

全体のストーリーとしてはまあそれほど破綻はしてないのですが、細かい部分で粗が多すぎました。

たとえば、宝瓶宮に飛ばされてカミュと相打ちになったはずの氷河が、後からムウ達がやってきた時に何故かはるか手前の巨蟹宮に紫龍と一緒に倒れていたり(誰が運んだの? その間の宮での戦いは?)、細かいとは言えない齟齬がチラホラ。
一番酷かったのは、沙織さんが矢座によって「小宇宙が漏れ出す」呪いにかかっている事が判明した時、星矢達はサガがその小宇宙を吸収している事なんか知らないのに「早くアテナ神殿へ行かないと」等と言っている事。「アテナ神殿へ行けば沙織が助かる」なんて描写は欠片もないのに愚直に先を目指すって……。

終盤に巨大石像が動き出した時の黄金聖闘士の行動も酷かった。「あんなものが暴れ続けたら聖域が崩壊する!」と言って飛び出していきましたが、何故元凶であるサガ倒しに行かないのか? 目の前のアテナ神殿にいるのに。しかも肝心のアテナをほっぽりだして、ようやく力に目覚め始めたばかりの青銅聖闘士達に任せちゃうって……。

原作では、黄金聖闘士が正体を表したサガを直接倒しに行かないのは、来るべき聖戦――冥王ハーデスとの戦い――を前に十二宮を空にする訳にはいかないのと*1、聖闘士の造反如きで命を落とすようならアテナに地上を守る力はない、つまりこれはアテナと彼女を護る星矢達に課せられた試練なのだという理由付けがされていましたが、本作では黄金聖闘士の身柄はフリーだった訳で、そこでラスボスたるサガを倒しにいかないのは無理があるよな、と。

せめてサガが冥王ハーデスに操られている――それこそ原作では明示されなかったサガにとり憑いていた邪悪なオーラの正体がハーデスの分身だとか――ような設定にして、ついでに教皇の間には16年間かけて築かれた強固な結界が敷かれていて(アテナの盾が結界装置だという設定も有り)、それが発動してしまったからそれぞれの宮に留まっていた黄金聖闘士はサガのもとへ辿り着けず、十二宮を既に突破していた聖矢達が戦うしかない、とかそんな感じの展開にすれば良かったのに。

しかも最後にはサガが巨大怪獣となって襲い掛かってくるって……いくら劇場版だからといって怪獣を出す必要なかったんじゃ。

サガが結局、力を欲しただけの悪党(最期には一応改心)で、原作のように邪悪ながらも「生まれたばかりのアテナには何の力もない。神如き力を持った自分こそがポセイドンやハーデスの侵攻から地上を護る!」といったビジョンも持っていなかったので、物凄いちっぽけに見えてしまい……。

唯一良かったのは、聖矢達が本当の意味で黄金聖闘士達を打倒してはいないところか。アルデバランは力を試しセブンセンシズの覚醒を促す為だったし、デスマスクは実質自爆だし、アイオリアはシャカが止めたし、シュラとミロにはぼろ負けだし。カミュだけがひよっこの弟子と相打ちというしまらない結果でしたが、弟子の為にあえて捨石になった、と好意的解釈も無理矢理ですが出来ない訳でもないし。
そういった意味で、聖矢がアテナの小宇宙を授かったからサガに勝てた、という設定についてはむしろ良かったのかな、と。原作のようにニケーの化身たる黄金の杖の加護があった、でも良かったけど、より分かりやすい形に昇華していたとは思います。

ちなみに、原作改悪云々以外の部分で一番酷いと思ったのは、聖矢の回想で幼い頃の沙織さんとの出会いが描かれたけど、結局その伏線が回収されることはなかった事。一応、聖矢が沙織さんを護る動機付けにはなっているけれども、投げっぱなし感が否めず。

それと、端々に散りばめられていたコメディ描写もシリアスなはずの物語に没入する事を疎外していましたね。聖矢一人が三枚目を演じて周囲は「やれやれ」と思いながらもムードメーカーである彼を頼りに感じている、という描き方もあったはずなのに。

本作からは小宇宙を感じなかった

以上のように、実に惨憺たる有様だった本作。他にも、沙織さんだけ声優でも俳優でもない、素人(アイドル)が声をあてていて、下手糞とは言わないまでも決して上手くなく、他の声優陣がみんな上手な人ばっかりだったから余計に違和感が大きくなっていたり、残念な点は多数。

あと、せっかくリメイクするなら、青銅編・白銀編・黄金編の三部作にすれば良かったのに、と思わずにはいられません。*2それならば、尺がある分、聖矢達の友情や沙織さんとの信頼関係構築、そして何より本作では尺の都合もあり描けなかった聖矢達の「成長」も描けたのではないか、と愚考するのであります。青銅聖闘士の切り札である一輝の活躍も描けたかもしれないし!*3

「君は、小宇宙を感じた事はあるか!?」

本作に関して言えばそれは「ねーよ」。

*1:アテナの盾と聖衣を護らなければいけない。

*2:予算の関係で難しかったかもしれないが。

*3:一輝大好きな筆者は本作での扱いに大変腹を立てています。