たこわさ

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「終戦のエンペラー」感想

しばらく前に観てまいりました。
(以下ネタバレ)
プロデューサーが日本人の方とはいえ、よくこの題材をハリウッドで扱ったな、と妙な感心をしながら観に行きましたが、映画としては妙にアメリカナイズされる事もなく、淡々と史実に基づいて物語が進むだけでもなく、そこそこ面白くそこそこ感動できる作品となっておりました。
何やら史実との違いを細かく挙げ連ねて本作を批判し悦に入っている方々もいるようですが、そもそも「ドキュメンタリー」と銘打った映画だって制作者による印象操作を目的とした編集が行われているのは常識であり、史実を基にしたフィクションである本作においては言わずもがなのはず。
逆に言えば、本作は史実と伝記を上手くデフォルメし再構成したという意味においては、中々に出来のよい作品だった、と言えるかも知れません。私も「ここ史実と違うだろ」とツッコミながらも同時に感動してしまったシーンが少なからずあったり。
ただ、「史実」部分*1がよくできていた反面、完全なるフィクション要素である「フェラーズ准将と日本人女性とのロマンス」が浮いて見えてしまったなぁ、と。主人公の人間的葛藤やロマンスを入れないとハリウッドでは受けないのかもしれませんが、フェラーズの公私混同な言動は日本人には受けが悪いでしょうし、もう少しどうにかならなかったものかと。どうせなら、史実通り小泉八雲関連のエピソードでも入れればよかったのに、などと益体もない事も考えてしまいました(笑)。
さて、この映画のクライマックスは天皇マッカーサーとの初対面シーンな訳ですが、ここが実によく出来ていました。ベースとなっているのは恐らくマッカーサーの自伝にある、「マッカーサーが『責任は全て私一人の身に』と申し出た昭和天皇の人柄に感銘を受け、彼に戦争責任を負わせない事を決意した」という流れ。近年発見された資料から会談の内容はもう少し違うものだったという説も有力になってきましたし、天皇マッカーサーは何も会談をたった一度きりでは済ませていないわけで、決して「史実に忠実」という訳ではないのですが、それでもやっぱり世間に広く知られた「昭和天皇」像と実に良く馴染む役柄を片岡孝太郎さんが熱演されていて、それを受けたトミー・リー・ジョーンズの紳士的な演技も堂に入っていて、不覚にも感動を隠せませんでした。*2
私の中にある、国家君主の座を追われ現人神から人間になったはずなのに基本的人権も得られず、たとえ国際司法的に戦争責任を問われなくとも精神的な戦争責任という十字架を終生背負ったまま全国を、世界を巡幸し続けた昭和天皇という一人の「人間」のイメージが、片岡さんの演じられたそれとピッタリ重なったんですよ……。
もちろん、そういった映画的感動をそのまま実在の人物への想いへ重ねてしまうことは危険な事なのかもしれません。でも、私が観に行った劇場、観客のほとんどがいい年した爺さん婆さんばっかりだったんですが、皆さんこのシーンに入った途端にしんみりとした空気をまとい始めてて、色々と思うところがあったようで。恐らく、ですけれども、別に天皇を神格化して云々ではなく、歴史をじかに体験してきて培われた自分の中にあるイメージと照らし合わせて共感されていたのではないかな、と。
少なくとも、半世紀も生きていない若造が「資料ではこうだから史実と違う!!」とか主張したところで、実際にその時代に生きてきた人々の想いには全く及ばないのでしょうね。

*1:上記の通り史実をデフォルメし再構成した脚本であって「史実通り」ではない。

*2:例え実際には「朕は悪くないもーん、全部東条が悪いんだモーん」「OK,OK. 日本はソ連の防波堤になってもらわなアカンから、とりあえずあんたが偶像として日本をまとめてくれればウチらも助かるわw」とか気の抜けた内容の会話がなされていたとしても。