たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

「原作通り」か「アニメ独自」か

ちょっと前の出崎監督の発言じゃありませんが、優秀なアニメ制作者の中には原作付きアニメは「原作と全く同じではアニメ化する意味が無い」という持論を主張する方が結構な数いらっしゃるかと思います。そしてそういった主張の下に制作されたアニメーション作品へ対する評価は、大概の場合賛否両論入り乱れる訳です。
個人的には、「完全オリジナル」でも無い限りは、「原作付きアニメは原作に忠実であれ」と思っております。
それに対して、「アニメ独自展開派」の方がよく主張する意見に「原作に忠実、つまり原作の奴隷であれ、というのであれば、アニメ制作者は『クリエイター』ではなくただの『翻訳家』にしかならない。自分なりの解釈の余地がなければ、何の創造性も無い」といった類の物がありますが、もうアホかとバカかと。*1
極端な話、同じ脚本を元にした演劇や映画だって、監督・演出、演じる役者、美術etc、そしてそれが制作された(演じられた)時代によって、全く姿の異なった物になりえる訳で。しかもそれらがそれぞれ違った「脚本に忠実」さを持っている訳で。「自分なりの解釈=脚本の改変も正義」なんてのは、エゴイスティックな考えでしかありません。
もちろん、「原作通り」派の中にも、「原作を1から10までなぞる」事が「原作に忠実」だと勘違いしている連中もいるわけですけどね。そういった手合いが手がけた作品は、小説や漫画という別媒体とアニメーションの差異を埋められずに駄作に成り下がる訳ですが。
まあ、何が言いたいかというと、「今川スゲー!」「京アニスゲー!」という事なんですが(オチ無し

*1:中には、今川監督みたいな「原作を完全に解体して再構成して別物に創り上げたけれども、それが原作への至上の愛に満ちている」制作者もいらっしゃる訳ですが。