http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1192252.html
以下、自分が思う限りの「理由」。
制度的な理由
実利的な理由
- 自然に身に付いた語彙には、自ずと偏りが生じる。個々人の偏りを放置すると、言語を通してのコミュニケーションに障害をもたらす可能性がある。よって「もっとも平易な日本語」として採用された「標準語」を、義務教育を通して平等に教育する事で、日本全国どの地方の人間同士でも、最低限の言語コミュニケーションを取れる土台を築く必要がある。
- 母国語を異にする外国人が日本語を学ぶ場合、前提として「標準的な日本語」と「それらを習得した日本人」が同時に存在しなければ意味がない。前者が欠ければ外国人は「何を日本語として学べばいいのか分からない」し、後者が欠ければ「日本語を学んでも日本人とコミュニケーションできない」事になる。
- 言葉とは時代とその時々の文化によってたやすく変容してしまうものである。言葉の変化自体は止めようがないものではあるが、それを放置すれば数年周期で「古文」が誕生してしまう事になり、それは過去の記録を理解する事が出来ない人間の増加を意味する。「正しい日本語」と言うものを仮定し、それを学ぶ事を義務とすることで、言葉の「風化」を防がなくては、我々は過去の様々な記録との埋められない距離を加速させる事になる。
番外:歴史とか漢文とかを学ぶ理由
- 自分の国の歴史も文化も知らない人間が、国際社会で認められるはずがない。自分の国の歴史や文化の知識を持たず尊重も出来ない人間が、どうして他の文化や歴史を尊重することできようか?
しかしながら……
現代文の試験問題がくだらないのには同意。
文法の問題なら分かるが、試験作成者の主観に偏った文章解釈とか、パターンの決まりきった長文出題とか、はっきり言って意味がない。接続詞の選択問題や、漢字の問題位しか意味がない。
現代文の成績は良かったけど、日本語の上手じゃない私が言うのだから信憑性は高いよ?