http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060413#p1
数日前のエントリーですが。
結構良文なんですが、読み返していたらコメント欄の一部やhttp://d.hatena.ne.jp/mycat/20060414みたいな酷い誤読が多かったので、あえて紹介。
20歳くらいまではわからなかったのだけれども、「やればできるのに」に安住してしまった人間の末路というのはみじめなものだ。彼らは「やればできる」と信じて、「できることをわざわざやるなんてカッコ悪い」と、結局は何もやらない。そして、「本当はできない」ということを信じたくないばかりに、やろうという意欲すらなくなっていく。ガン検診を受けなかったらガンにならないというわけではないが、「知るのが怖いから」とガン検診を受けない人のように。
「やればできる」って言葉は、とてつもなく欺瞞に満ち溢れた言葉なんですよね、実は。
本当ならばこの言葉は、「やればできるかもしれない(し、できないかもしれない)」なんですよ。だって、やる前から結果が決まっているわけありませんから。
しかしながら、「やればできるけど、やらない」は「出来ない」と同義です。才能があろうと無かろうと、「やらなければできないのと同じ」な訳です。
出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。でも、だからこそ「やる」事が必要なわけで。「やらなかった」と「やったけど出来なかった」の間には、天と地ほどの差があるわけで。
大人にとっては、「やればできる人」になんて、何の価値もない。問題は「やる人」か「やらない人」か、あるいは、「できる人」か「できない人」か、ただ、それだけのこと。
まさしく、至言であります。