たこわさ

アニメやゲーム、映画・本などのレビュー・感想・情報を中心にお送りする雑多ブログ。

コンクリ詰め殺人有罪の男 監禁、傷害で逮捕

昭和六十三年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年四人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕されていたことが三日、分かった。
(産経新聞 7月4日付)

上記の引用元記事では実名報道がなされていますが、放送各社では実名報道は自粛(規制臭い)されている模様。そして、監禁致傷なので何年もせずに出てきてしまうという矛盾がみられる。

 そもそも、未成年犯罪者の実名を報道しないのは「更正の機会を逃す恐れがある」という理由からのはずなのだから、成年になってから再び故意の犯罪を起こした人間には必要の無い措置では無いだろうか? 彼は既に成年であり、更正する為の保護措置は実名報道がなされなかった事によって十分に与えられているのだから、それを活かさずにまた犯罪を行ったのならば、これは通常の再犯行為よりも遥かに罪深い事なのではないか?
 少年法の厳罰化や対象年齢の引き下げも叫ばれるが、そういった締め付けの強化が少年犯罪の低下に繋がった、という話はとんと聞かない*1。また、「取り返しのつかない」事をしても、ガキだからある程度大目に見てしまう制度というのも、決して矛盾はしていないと思う(最良の制度だとは思わない)。
 だが、「更正」する時間と環境を与えられておいて、まだ「反社会的で利己的な行動」に出るというのならば、今度こそ容赦してはいけないのではないだろうか? 殺人を犯した少年が、更正プログラムを経てなお罪を犯したのならば、通常よりも重い刑罰でもって臨み、過去の罪も洗いざらい白日の下に晒すべきだ。つまりは、極刑と実名報道を。
 こういった事を言うと、おそらくは「少年時の犯罪について併せて実名報道する事は、過去に遡って(社会的)刑罰を与えるようなものだ」という反論をする方もいるかもしれないが、それは違う。
「彼」は、猶予と更正の機会を与えた「社会」を裏切り自ら更正の意義を喪失させたのだから、更正の機会の保護を目的とした未成年犯罪者の実名報道規制はもはや必要ない。ここで再び実名報道を規制する事は、「過去に遡って更正の機会を与える」という矛盾した構造以外の何物でも無い。
認めろ。更正は失敗したのだ。
 被害者に対しての罪と社会に対しての罪*2。二重の罪を「彼」は犯したのだから。

(追記)
個人的にはあんな人非人どもは、死刑を通り越して拷問系でも生温い、と思いますが。

*1:まだ正確なデータが出る時期ではないのかもしれないが

*2:普通の犯罪も社会に対しての罪は含むんだろうけど